2015年2月5日木曜日

自然農法にみる根源




「自然が主役」
「耕さない」
「農薬をまかない」
「雑草を抜かない」
「苗を植えるのではなく、種入りの粘土団子をまく」
「なにもしない」







自然農法家、福岡正信さんを知ったのは最近のこと、胸に飛んでくる数々の言葉は、農業家でなくとも私自身が何に価値を置いて今の世の中に生きているのか、改めて問いただす強い言葉。
とある環境、とある空間に生まれるもの(事象)を、よく見る事、観察すること、なぜそこに生まれたのか、その環境にとってそれは必然なもの。

人間は常に勝てない自然と離反して、対抗して自分たちを主役にしてきた。
根源を見る。今、ひたすら根源に目を向け、自身に問う。
子供たちに何を残すのか。

自分はまだまだ強引に、苗(踊り)を植えている










2015年1月27日火曜日

悪人正機

昨年末より月1度のペースで恵比寿にあるクリエイティブスペース「amu」において
「いのちの集合知をつくる --アート、精神ケア、現代宗教からかんがえる」という講座が開催されており、先日24日に参加をしました。前回に続き二度目の参加。毎回変わるテーマの視点より、生命(いのち)を考察するというイベント。

今回のテーマは<現代宗教「悪人を生きる」>ということで浄土真宗僧侶の大來尚順さんに、親鸞「悪人正機」から世の中の善悪、人間と宗教のあり方についてなどを学び、参加者と意見交換。
前回に続き、又強く自身に向き合う機会でした。

「悪人正機」とは・・悪人を救えなければ、善人を救うなどは出来ない。という浄土真宗の思想。
ただこの時代の悪は現代とニュアンスが違う。

親鸞のいた鎌倉時代の辞書「塵袋」(ちりぶくろ)によれば、悪人とは穢れた、汚い身分のものということを指しており、「えた」などと言われる身分の者、主に非人(見た目は僧侶だが僧侶らしからぬ行動をするもの)、物乞い、清め(汚れを掃除する職のもの)、といった身分の者を指し、差別用語でもある。また、悪人は自力で修行を積むことができない身分としての存在であり「悪人正機」とは、そのような他力本願な身分であっても、阿弥陀仏の救済の対象となり救われるという親鸞の説いた教えである。

まず感じたこと。悪人といわれる存在から、その時代の持つ特性、景色が見えてくるのだろう。言い換えれば、我々が良きとしているもの、価値を持つとされるものが見えてくる。


・・(あくまでも自身の感覚として)この世の全ては、元々は一つの塊(かたまり)だったと思っている。他人の驚くような狂気な行動、考え方などが、自身と全くかけ離れたものであっても、自分の中には0の要素ではない。そう思っている。明日には180度違う人生になるかもしれない。
私には当全、悪はある。とにかくまずは自分の中にある悪を認めること。自分の中にある悪とは何か。自分の思い込んでいる悪とは。
それが「悪人正機」の意とまず捉える。

表現はそこから始まるはず。


最後に聞いた言葉。
「宗教、(思想)は個人のものと考えるのが良い」とのこと。
集団化、組織化することで生まれる派閥により、個を見失う傾向を感じる。
人は脆い。







いのちの集合知をつくる

――アート、精神ケア、現代宗教からかんがえる

2015年1月24日土曜日

「自由になる」ということ



私の中の「自由になる」という言葉の印象は、人間の作り出した制約や、個々の縛りの消耗から解放されることだと思っている。・・それは自分自身がこの世の中の制約に巻き込まれ、日々追われているという証拠。仏経で言うところの苦の輪廻のような感じで、きっとそこにいれば何時までも同じところを抜けられずにグルグル回り続けるだけだろう

別の視点で捉える
重力に負けず、空へ延びる木や草。やっとの思いで懸命に立ち上がり、満面の笑みを見せる赤ん坊のように、この星の自然が与えるシンプルで偉大で普遍的な制約を感じ、そこに向かって自由になろうと立ち向かう。その制約を超える事は、簡単ではないけど、越えようとすることは生きていることを実感できる喜びがあるように思える。

人間の作った制約は余りにも難解なもの。きっと人間自体を信用しなかったからじゃないかと感じる。

2015年1月23日金曜日

恐ろしい事

映像など見る。

経験上、触れたことのないモノに関しては意志を持って留めようとしない限り身体に響いてこない。触れるとは、質感、その場の匂いや、気温など、身体感覚を通して対象を目の当たりにする事。
そこで、喜び、戸惑い悲嘆など自分の感情が大きく動けば動くほど強烈な記憶となって身体に残る。幼いの頃の記憶で残っているのは、母親の背中に揺られ山登りをして嬉しかったことや、野犬に追われ恐ろしかったことなど自身の感情が大きく動いた事など。
物心付いてからも強く残っている記憶はそう。その記憶に対象が、多少なりともリンクするものは身体に響いてくる。近年、目の前にあるものはどんどん流れようとする、触れたものでさえ留まらずサラサラ流れていく状況が恐ろしい。心や感情を動かさなくなれば、いざリアルな景色に触れても麻痺をして何も感じない。

死は今までに何度か触れた。それは最強な悲しみ。
目の前で殺害されそうになっている人を見過ごすことに抵抗を感じる。
自業自得だどうのこうのの前に私はとにかくそう思う。




2014年12月16日火曜日

ダンスリンクリングvol.9の出演終えました

14日(日曜)ダンスリンクリングvol.9の出演終え、連続したダンスリンクリング公演すべて終わりました。ありがとうございました。踊って感じること。生物的(有機的)な瞬間と無機的な瞬間が交錯するような、アホと機械の交錯だったり、様々な交錯の連続だなあと・・。それは踊りに限らず、いろいろぐいぐい行ったり来たりすることが今の世に生きる我々であるように思えます。この世の中、大きく無機的な方向へ人間を導く力は相当なもので、一見無機にあることが正しいように思えますがそれは生物においては不自然で負担となっていくはず。原始時代に生きるごとく、生物極まりない生き方に没頭することは極めて難しいとは思いますが、魂が震える生き方を私はけして失いたくはありません。生物的なことには愛がある。今の世はそこから遠ざかる一方。世の中の本質的な部分を変えるのは、人間の持つ生物的なところへぐりっと働きかける力。


14日に踊り、みや子さん始め、仙川ファクトリーのみなの愛に包まれ、共演者の突進する姿勢と共に振り返る。






                   (金子愛帆さん写真より厳選、転ぶ母子)





2014年12月11日木曜日

インターネットTV『ボトムアップチャンネル~越年支援生放送』出演

ソケリッサ!
路上にて映像撮影しました。こちらにて流れます。(全6回)どうぞご覧ください!
12月12日(金)20時~
インターネットTV『ボトムアップチャンネル~越年支援生放送』
司会:稲葉剛、遠藤大輔
詳細:http://bottom-up-channel.net/











ダンスリンクリングVol.8出演終えました

ソケリッサ!
8日(月曜)ダンスリンクリングVol.8出演終えました。ありがとうございました。舞台のある劇場空間に立つことは久々の事、人数も減り、演出変更合わせ、今までとはまた違う作品となりました。我々の作品は特に評価を頂いてもそれはたまたまです。ひとつずれると、驚く程波長の合わないものとなり、転落します。過去に1時間の作品がそれぞれ踊りどころを違え30分で終了しました。明確性や安定を求める世の中において、我々は不確かで、不安定で真逆です。振り返れば始めた当初は一気に老けました。変化を怖がっていたストレスは大きかった。自由を求め共に踊るのですが、テーマを成立させるために利口になろうとする自分が見え隠れします。目的へ向かい、統率する立場を選んだわけなので、その格闘は今後も続きます。今回出番のない1部において舞台袖から出演者の踊りを観てました。それぞれの今向かうべき所へ、汗を流し、身体をうねらせる姿を近くで体感しました。
今年生まれた息子が、物心着いた時に、この父親は一体何をやっているんだろうと思わせてやります。14日(日曜)仙川ファクトリーにてダンスリンクリングvol.9あります。チケット手元に少しあり。お越しになる方お知らせ下さい!