2008年4月16日水曜日

仮面ダンス

インドに行って来ました。

「あつかった」


3月23日から2週間の旅です。

次の企画の思惑もあり、「ソケリッサ!!」の舞台終了後、
落ち着くまもなく出発しました。

そもそもなぜインドに行こうと思ったのか、

芸術を必要としている対象は、
チケットを買える人間ばかりではないということ、
又、異国の地の路上で踊る事での観客の反応等・・

その辺りを踏まえ、頭の中でシュミレーションをしてみます
おもしろい、行動に移してみたい、と思った国の一つがここでした。

書店に数ある紀行本の中でも
この国に関しての内容本は恐らくトップともいえるでしょう。
つまり何らかの感銘を受ける人間の多さ、
人に伝えたい出来事や状況の多さ・・という事。

少なくとも日本では味わえない感覚はそこにあるようです。



飛行機が空港に着きました。

始めに、ホテル街でもある、
ニューデリーのメインバザールに到着したときの感覚は強烈でした。



なんとか状況説明をしてみます。

時間は夜7時位、ちょうど日が暮れかける感じです。
東京の竹下通りのような道幅、そこにホテル、
洋服、靴屋、食べ物(店の前に油入りの大きななべがあり、
あげ物を作っていたり) 電気屋、お香にタバコや土産屋等、

他にバナナなどの果物売りの荷車、
道端に広げる香辛料や穀物売り、
そこを行きかう三輪オートのタクシーに、
自転車タクシーのリキシャー、車、人、牛、野良犬・・
それらが土埃の中、とにかくはげしいクラクションやら、
物売り、勧誘の声に当然ながら解らないヒンディー語の会話・・
圧迫感のある40度近い気温と、街自体の熱気が全身を覆い、
そこにのって道端の牛や犬の糞や尿とゴミの匂い、
お香やフルーツの甘さ、タバコや香辛料の匂いが混ざり、
主張しただよっている場所。


そんな感じです。

そこに到着した自分の傍にはホテルの勧誘やら、
絵に描いたような物乞う人が近づいてきます。
舞台本番を終え正直疲労も残る自分には、
油断もありましたが、間違い無くすべての状況に圧倒されました。


インドについての本は何冊か目を通し、
ある程度想像はしていた通りです。
しかし、五感を通し、カラダの内外に圧倒するエネルギーは、
その同じ空間に存在をすることでしか
感じ得ないものがあるという事を改めて思います。


興味が強いのは、とにかくその一番最初の感覚です。
そこに素直に見えるモノです。

経験をつみ、学習をし、慣れていく事も重要かもしれませんが。
初めての経験や体験で得る圧倒される感覚は、一度きりです。

それは貴い。


さてあれこれと分析するつもりはありませんが・・
自分はこの国では黙って過ごす事が出来ませんでした。


地下鉄や食堂のメニュー、
公共施設の入場料以外、
基本的には値段は提示しておらず、
何事にも交渉が普通です。

買い物では他国でも良くある光景ですが、
タクシーともなれば、値段交渉をしても
高額な料金請求をされる場合もあります。

自分がよく利用していたのは、
バイクのタクシーのようなオートリキシャと、
さらに近場はサイクルリキシャー
という人力車の自転車版です。

基本的に道を歩けば、
「乗ってけ」なり「観光に連れて行く」なり
リキシャ運転手は頻繁に声をかけてきます。

それ以外にも物売り、うさんくさい勧誘やら、
うるさいの一言でした。

大人しくしていれば、さらに強引になり、
言葉巧みに言いくるめようと展開したりします。

つまりそこでひるまないエネルギーを使う事になります。

日本の10分の1くらいの物価の状況、値段交渉も、
日本での50円や100円。

そこまで構えすぎても・・というのが現状ですが、
この辺の感覚は難しい。

しかしとにかくこのおじさん達は皆生活の為に必死であり、
日本人は金持ちで、もらえるならたくさん欲しい。
ということであり、それはとにかく伝わります。



旅の最後の方に知り合った、
インド人の青年ラカン氏が言ってました。

「インドには仕事に就いてない人間が山のようにいます、
家族に食べさす為に犯罪もしてしまいます。
とにかく仕事が欲しい、日本に連れて行ってください。」

さすがに日本に連れて行くことは断りましたが、
たしかに現状でしょう・・・


彼は自分に「街のガイドをするからガイド料をくれないか?」
と言ってきました。値段は200ルピ-、約600円です。

彼の家庭では、家族みんなで月収が800~1500ルピー、
お父さんは馬車で運搬をする仕事とかで、
姉さんがミシンで洋服の仕立てをしており、
彼はたまにガイドをして稼ぐとのこと、
200ルピーは大金です。

交渉は100ルピーで、
いいガイドであれば200ルピーを払う約束にしました。

彼とバイクに乗り周りましたが。
本当にインド文化の歴史もまじえつつの良いガイドでした。
200ルピー払いました。対等の付き合いでの金銭感覚が、
重要だと思います。

彼とのやり取りだけでも色々考える事がありました。


とにかく一歩外に出れば何かとエネルギーを必要とします。




日本では、日常において、
コンビニでもスーパーでも黙って買い物が出来るし、
他人との摩擦をいかに減らすかという社会の流れもあります。
感情が無くても食べていける、人間相手にがんばる事は
あまり必要でないのでしょう。



もちろん自分も、誰との接触もなしに、
又何も話さない一日はよくあります。

自分は日本人であるという事を、
とにかく感じます。






そして、踊りました。


撮影:同行した通訳さん


ジャマーマスジットというイスラム教のインド最大の礼拝場があり、
その近くの大通りでやってみることに。
その近辺はいわゆる最下層の暮らしをする人たちが
多い地域にあたります。

日本の路上生活者との大きな違いは、
生まれてから死ぬまでその生活形態は
変わらないのが現状という点です。


生まれてからその暮らしで当たり前であるという人生・・

極論かもしれませんが、
自由のつもりでも自由でなく、見えているようで見えず、
現状から殻を破る意味さえ解らないのは、
カーストやインドが特別だからでなく、
実は自分達誰でも持ち合わせている気がします。




その場所で踊るということ・・


まぁ考えても自分を駆り立てるものが明確ではありません。

ただすべてが一生懸命に生活をしているというか、
インドのシステムの中で、不器用な生き方だったり、
ずるがしこい生き方だったり、適当だったり、
一心不乱に神に祈り、美しかったり、
土まみれになったり、とにかくそこらへんが、
自分の踊りたい欲求を強烈な力で
押し出そうとしてくる感覚です。


「あついもの」です。


日本から用意をしたダンボールの面をかぶり、
模様や、表情を描きます。

その描いたイメージが、
自分の言葉に表現できない動きであり、踊りになります。


踊り始め大人子供が徐々に集まり始めます。
裸足の汚れた服装の人、普通のシャツの通行人、
友達同士の学生らしきグループ・・
肌の色のせいか、白目の部分が強調されて見えます。
その視線には、自分に対する興味を感じます。

面の中の表情が気になるようで、皆のぞきたがり、
動きのマネをしたり・・
良い緊張に包まれました。




しかし途中から一部の若者達がいたずらを始め、
足元に氷を撒いてきました。
遊びの延長での行動はわかりました。

続けます・・

そして彼らは最終的に、
この時持っていたダンボールのお面を全部破いてしまいました。


これには正直頭にきて、怒りを表しましたが、
相手はなんとも無いようなリアクションでした。


傷つきました。


もっとつかみかかり怒りをあらわにすればよかったのか、
単に場所が悪いのか、彼らの場所に入りすぎたのか、
惹きつける力が無かったのか・・


帰り道、涙が出てきました。久しぶりに。


何の涙かも解りません、行動によってのものか、
貧困を目にしてなのか、仕事の疲れなのか、


日本の日常では、
やはり人は心を動かしにくい状況だと思っています。

人との関係の中で、怒り、ただ悔しくて涙を流したり、
喜び、心から感動したり、大きな力に突き動かされる状況は、
人によれば格好悪い事に見えるかもしれません。

喜びの涙にしろ、悔し涙にしろ、心が動く証し。
それはとても人間的でいるアイテムの一つだと思っています。
状況を振り返ると、泣く場所を探していたのかもしれません。




この流れでの自分の経験は、
純粋に文章にして伝えたいと思いました。



その後の路上での踊りは、妨害される事も無く展開し、
バラナシという場所では、 現地のガイドの協力もあり、
いくつかの村に行きました。



踊り終わりの感想においては

「よかった」「面白い」「エクササイズみたい」
「曲はいつも無いのか」「もう一度やれ」
といった感じで、最後に「又来て欲しい」
という声が何度か聞けた事に対しては、
素直に又来たいという気持ちが湧きます。





いやぁ・・いろいろありました。



最後まで踊れたにしろ、無理だったにしろ、
この国で踊りたいと思った理由もなんとなく見えました。

もちろんインドだから受け入れられなかった
という風には思っていません。

どこでも旨く行かない事はありうるはずで、
たまたまだったと思います。





ダンボールの仮面は最後にはずして踊ります。

やはり皆、顔を見たいようです。










この旅の話、続きは又次回に・・

※宮崎による代理投稿。執筆はアオキ裕キ