2009年11月27日金曜日

憂鬱なカラダ 

先日、首に痛みが出て、病院で検査をすることにした
どうやら疲労で筋肉が張っているとの事

普段は怪我も無く、今の所至って健康だが
身体は確実に劣化する・・
年齢に伴い身体はますますいたわらないといけないなあ
と思いながらレントゲン写真にうつる自分の骸骨を眺める

身体は神秘に包まれている。


・・私達の身体は目に見える「肉体部分」と、
見えない思考や意思、感情などの「精神部分」で構成されている。

そこで人間の行動には、
肉体への知覚(感覚)の刺激が精神部分に働きかけるか
逆に精神部分から肉体に働きかけ行動を起こすといった
精神と肉体間のやりとりがせっせと日々行われるのである。

つまりは、見える部分と見えない部分が噛み合って初めて、
身体にとって自然な状態ということになる。

踊りなら、心地よければ心地よく踊り、心地悪ければ心地悪く踊るのである


日常であっても、つらいのに楽しいふりをする事はきつい
単純に我が内に正直に生きることである。
しかしながら、明らかに精神と肉体が噛み合っていない振る舞いは
いたるところ見受けられる

表向きがよければ中身は問題にしない社会の傾向はまずい・・

とうぜん不自然は身体に無理があり、壊す原因でもある。


以前、CM制作会社に頼まれ、企業へのプレゼン映像用に
振付のアイデアを求められた時の話。

新商品の強い守秘義務のため、食品ということ意外、商品の名前も
何も詳細を教えてもらえず振付を頼まれたことがある。

それは大変であった。売り出す商品があって動きのイメージができる。
商品を知らずに形をつくることは不自然で、なにより芸術性にかける。

(もちろん、たまたま先方にそうなる事情があった事で
やるからにはもちろん尽力に従ったことは付け加える。)


・・・・・

人前で肉体をさらし踊りを踊ることは、
精神のさらしである。

魂の叫びである。

目に見える部分だけなんて、おさまる事は自身にとってありえない。
そしてその先、目指すはその場に身をゆだね、
何も閉ざすことなく感覚を開く作業である。

踊りとは肉体の外に散らばっているものを感覚が集め
肉体の動きに変換していくように思う。
絵も音楽も言葉も会話も表現はすべてそうだと思う。

6畳の部屋で裸電球の下、表現をする場合と
広大な原野で表現をする場合は明らかに同じものは出ない。
それはとても自然であり、すばらしい事なのだ。

感覚アンテナが劣化しないように注意が必要であるが・・
それは芸術家のみならず、誰しも当てはまること




とにかく精神部分と肉体部分が共存している身体にとって
バランスは大切であり、目に見えない精神部分を認識し
身体にとってシンプルで自然な状態でいることは大切である。

とはいっても物質的価値が優先している現実、
精神と肉体のバランス舵取りが、容易ではないのもわかる・・
もちろん自分自身特別な人間でもないし、
精神と肉体そしてそれらの理想との葛藤もある。


植物のように、今を淡々と生きる姿、
動物のようにただ懸命に生きる姿はとても美しい・・


素晴らしい。


一息・・


話は最初へ戻り、病院の待合室でのこと。

隣に座っている体格のよいおばさん(好意を持っての名称)
が話しかけてきた。
「私はひざが悪くて、先生には痩せろと言われてるけど・・」
「そうなんですか。」
「運動は嫌いだから、サプリメントでがんばっているのよ。」
「やせます・・?」
「良いのは一通り買って飲んでるわ。
年金ほとんどつぎ込んで毎月7万よ。」
「・・・。」
「高いのよ。でも何が効いてるのかわからないから、
どれも止められなくて、大変。」
「・・。」
「この後ステーキ食べるのよ、医者に来る前は太らないように
我慢してるけど、やっぱりだめねぇ、ははは。」

これは驚いた。

とにかく突っ込みどころが多く
気の利いた言葉はかけられなかった・・

しかしこういうおばさんが、どうも嫌いになれない自分である。







今回はこの辺で・・

2009年10月27日火曜日

食するひと

「アオキさんは、ベジタリアンですよね?」と
人に言われる事がある。


傍から見たイメージだそうだ。

普段は確かにベジタリアン生活に限りなく近い
家で野菜を育て、野菜中心の食事である。

野菜を育て始めたのは、
食費を押さえようと思ったのがきっかけであり、
肉の値段も高く、腹が重くなり、そうなると眠くなる・・
カラダが軽い方が踊りやすい。
と、だんだんと食べることが減った。


もちろん機会があれば食べる。



「いのちの食べ方」という映画がある。
監督はオーストリア出身のニコラウス・ゲイハルター氏

この映画は、牛、豚、にわとりなどの家畜が肉になる過程
又、野菜や果物の生産過程などがナレーションもなく淡々と
映し出される内容である。

ちなみにこちらの映画のホームページでは

日本は食料自給率が低いわりには
世界で最も残飯を出している国でもあります。
金額に換算すると、11兆1000億円もの量になります。

・・・

等、食に関する問題点が掲載されている



映画は自分たちが口にしている食物の生産過程が
よく見える内容であり
家畜の処理過程は率直に言えば「残酷」に感じた。

しかし「残酷だと思うのなら肉食を止めたら良い」という思考では無い。



アラスカやカナダ、グリーンランドの極北で生活する人々にとっては
肉は生きるために必需であり、アザラシや白熊を何日もかけて狩る。
その地での圧倒的な生活を目の前にしたときに、
おそらく食の定義が明確になるように思える


「残酷」に感じるのは日本人の目線の自分である。

人間は動物であり、生まれたときに母乳を体内に取り入れる。
そこで「自分は何を食べて生きるのか」という情報を
母による体内成分より教えてもらい準備をするように思える。

民族や人種によって食文化は違いがあり
それぞれの気候や土地、環境で適した食生活になる。

人間の食はそれぞれ違って当然である

我々は生きるために食べ物を食べるのが、自然だが
なんでも手に入る豊かな暮らしでは、嗜好に走りすぎるのも当然であり
それぞれカラダにとって本当に必要なものが何か・・
感覚はぼやけてしまっている。
そこが、残飯大国と言う良からぬナンバーワンに
なってしまった姿なのだろう。


ベジタリアンだろうが、なかろうかに焦点を当てるのではなく
一番望ましいのは食べる分を自分の手で(育成し、刈り)狩り
食すことなのかも知れない


しかし家畜を肉にする役割の人達がいて、
そのほかの人達は製品になったものを購入する
その世界大半で当たり前となっている分業システムは
今更どうしようもない訳である。

スーパーが無くなり「来年より自分の食べるものは自分でどうぞ!」
となれば、皆戸惑いは必至・・
外食産業も無くなれば、肉を求めてより自然の多い地方へ
分散するのか、ライフスタイルを変えずに
お金で何とかしようとするのか・・



しかし既に挙げた極北の人々は現にそれに近い生活であり
食べ物を無駄にせず、祈りをささげ食すのである。

アラスカで暮らし、アラスカの写真を撮り続けた、
星野道夫氏の著「旅をする木」では
狩猟民族に生命体の本質を見出した記述がある。

一文を


動物達に対する償いと儀式を通し、その霊をなぐさめ、
いつか又戻ってきて、ふたたび犠牲になってくれることを祈るのだ。
つまりこの世の掟である無言の悲しみに、

もし私たちが耳をすますことができなければ、
たとえ一生野山をあるきまわろうとも、机の上で考え続けても、
人間と自然との関わりを本当に理解することは

できないのではないだろうか。

人はその土地に生きる他者の生命を奪い、

その血を自分の中にとり入れることで、
より深く大地と連なることができる。

そしてその行為を止めたとき、人の心は
その自然から本質的には離れてゆくのかも知れない。

・・・・・・・・・




食事の前に手を合わせ「いただきます」と頭を下げる
日本人の作法がある。
神道ではすべてのものに神が宿るとされている。
古人は物をとても大切に扱ってきた・・

残飯大国ナンバーワンから脱却できる感覚は
本当は日本人の心の奥に潜んでいるのである。



いのちの食べ方の映画に戻るのだが
中に果物や野菜の生産シーンも出てきた。

室内の照明で野菜を育て、
虫の付かない美しい野菜が育成されて出荷され
空からセスナ機で植物(野菜か果物)に農薬をかけていた。
かなり大量だった。

当然美しい野菜は需要があるのだろう。











今回はこの辺で



「いのちの食べ方」映画HP
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/

2009年10月26日月曜日

路上ダンス「母の時間」

天候が不安でしたが、無事開催することができました。
条件の悪い中、たくさんの方に来て頂けたことにとても感謝しています。

ありがとうございました。

パンフレットを100部以上用意していたのですが、
こちらのミスで配ることができずに、肩を落としています。
文章を見て頂ければ、特に初めての方には、もう少し
ソケリッサ!へ近づきやすかった事と思うのですが・・



私達の表現へ足を運んでくれること、又拍手いただけることを
メンバー共々、心より感謝いたします。

又次回へ向けて精進いたします。

ありがとうございました。

2009年10月7日水曜日

踊ります。 路上ダンス 母の時間

























2009年10月25日(日曜)17時より、井の頭公園にて踊ります。


ソケリッサ!は路上ダンスと称して
ホームレスのおじさん達の表現を
気楽にたくさんの方に見てもらえるように
今年の7月から井の頭公園で踊っていました。

その締めくくりとして、今回は演出を加え
「路上ダンス 母の時間」
と題し、ライトアップによる空間の中、
作品としてお見せしたいと思います。


是非、秋の夜長に吉祥寺の森へ立ち寄っていただき
私達の身体より出てくる表現を楽しんでください。

無料です。心よりお待ちしています。

2009年10月6日火曜日

刺青のある景色3

前回よりの続き・・・



つづいて作業場。
そこでは市場に出回る日用品生産の一部を加担している。
空間には他にも作業用個室や、大型の洗濯機数台
工業用具が壁に並び、自営作業、職業訓練も兼ねた
工場のような場所である。

扉を開けて中に入ると、
ずらりと30人程(に見えた)の収容者が作業台に座り
黙々と製品を組み立ている姿が目に飛び込んできた。

5人掛けの作業用長机に隣と均等に間隔を空け座り
皆同じ姿勢で手元を見つめ、教官の監視の中
もちろん私語も無く、余所見をすることも無い。
筆記用具内部の部品を組み立てる作業に見えた。

蒸し暑い中で作業を行なっている。

扇風機がゆるやかに回り、湿度の高い
(夏場もクーラーがないように思えた)
けして快適とはいえない空間で
黙々と作業を行なう収容者の前を進んだ。

その空間は独特であり、緊迫した舞台上に
いるときの感覚に近いものがある。

当然長袖では、蒸し暑く大変であるため、
上半身は白いTシャツか白いランニングシャツで作業を行い、
頭髪は、皆五分刈りの坊主頭だ。

収容者にはかなりの割合で、肩から腕にかけて刺青(入れ墨)があり。
犯罪と刺青の関係・・等、部屋を出ながらぼんやり考えていた。




施設の説明、少年犯罪について話を受け、
質疑応答があり参観は終わりになる。
どのような質問にも丁寧に答えてもらえた。

そこではお金は優越の対象にならず、
洋服も髪型も規律に即した形で平等に統一されている。
当然であるが、表面的装飾をふくむ、
物質面での個人主張はまず出来ない。

毎日が規律に従った生活であり
起きる時間から寝る時間まで決められていて
余暇時間は夕食後の数時間、そこでの行動はおのおので
テレビを見る者、本を読む者、手紙を書く者などそれぞれに別れるが
基本的に管理下におかれているのは変わらない・・

又、他人との私的コミュニケーションは制限があるそうだ。
同室の者同士、お互いの罪は知らないということである・・

休日、祭日は、1日約8時間の作業などの矯正処遇は免除となり
監視の中、余暇時間が設けられている。



収容者はその制限された空間で、
どのような感覚になっていくのだろうか。


あくまでも主観だが、常に側に素性を明かさない他人がいて
周りと足並みを統一し、監視をされて生活をする状況はつらい
自分は逃げ出したくなる。


・・やはり罰を受ける場所なのである。


彼らは26才未満の若者で、社会的ルールに反してそこに来ている。
彼らの傾向は、疎外感、愛情飢餓感を持ち、せつな的に生きていて
共感性、自制力が希薄であるという。

その状況では、近くの他人と自分の関係で精一杯になり、
そこで優越を付けること、内的部分での主張に終始してしまうのが
常になるのではないだろうか・・

人はそれぞれお互いの関係を平等だと思い
心を開いたときに初めて回りに目が向く
収容者が、お互いを理解し、落ち着いて自分自身の居場所を確保し
自己を見つめ、広い世界を見つめ自分がどうありたいかと考えることは
容易ではないだろう・・

刑務所で自分の罪を心底反省し、精進し勉強に励み、
社会復帰をしようと思えるようになることは理想であるという
やはりそこで精進しようと思えるのは、教官の愛情
人間性による救出力が大きい事は明確だ。

刑務所は罰と更正が存在する場所なのである。
個人を抑圧されて、個人を開花しなければならない。

ある意味そこに、人間の持つ複雑な矛盾性が見える。


芸術に導いたとき、何が見えてくるのか・・と又想像する。


とても考えさせられた1日であった・・

家に帰り、慣れないスーツを脱いで、ふと鏡を見た。
そこには坊主頭で、左腕に刺青のある自分が写っている。

”たまたま”彼らは刑務所の中で罰を受け、私は”たまたま”ここにいる。
生まれたときは皆同じように素朴な存在であり、
”たまたま”生まれそだった環境での違いなのである・・


鏡の前で少し踊った。







今回はこの辺で・・

2009年9月27日日曜日

刺青のある景色2

「芸術には人を成長させる力がある。」



人は表現をし、自分自身を他人へ認知させようとする。
私はここに存在している!という魂の叫びである。

外見へ美の追求はもちろん、外観的なファッションや装飾類、
奇抜であったり、地味であったり色使いも様々だ。

ブランド品など持ち物にこだわりを持つこともあるだろう。
何にお金をかけるかで、その人のこだわりの表現が見える。

又車好きな人の中には、改造し、
スピードを出して走りたくなるかもしれない
暴走族の騒音もいわば表現である。

内面的な思考部分においては、より崇高さをもとめたり
排他的にふるまったり、こだわりは皆違いがある。

なるだけ目立つことを避け、より一般的に収まろうとしていても
他人の倍、勉強に時間を費やしているかもしれないし
実はゲーム技術を追求しているかもしれない
自分のためはもちろん、人のためにお金を稼ぐ事に
努力を惜しまない人もたくさんいる


他人より秀でている部分、秀でようとする意欲は、
”多かれ少なかれ”一般的に人には備わっている。

人は表現をして、生活している。

さて”多かれ少なかれ”と述べたのはもちろん理由がある。
周りの状況によって表現の衝動を抑制されていたり、
成長してきた環境によっても、それぞれの表現意欲は
大きく異なってくるからである。

やはり人は周囲より認めてもらえない時のストレスは大きい。
その場合、何らかの違う表現手段を選び、再挑戦すればいいが、
ストレスを軽減するため、自分をごまかしたり、
周囲に対しての愚痴をこぼし自分を正当化したりする
(これも表現といえる)だけになることもあるだろう。



特に子供は心身にエネルギーが、満ち溢れている、
そのエネルギー溢れる表現に大人がしっかりと関心を示し
良し悪しに答え反応しなければ、犯罪を犯し、
自身の存在を知らしめる方向へそのエネルギーが進む事は否めない。

周知だが、子供に関して生活環境は、
その人格育成に強烈な影響を及ぼす・・。

ここより主題になる

先日、少年刑務所に参観することが出来た。

ちなみに一般の人が簡単に、刑務所参観することは難しい、

私は「芸術的観点からの目線で社会知識を得たい」という
趣旨を関係者に理解してもらえたこともあり
運よく参観することが出来た。
見学という方が、その感覚には合う。

今後、刑事施設と、どう芸術でのかかわりを持つかは、明確でない・・
刑務所それぞれシステムが違い、又、日本の刑務所の総てを
把握したわけでもない。今から述べるそこで感じたことは
あくまでもまだ主観の枠でもあるゆえ
慎重な発言をすべきであり、名称の表記
状況の明言は避けることにする。

そこへ収容されているのは刑期8年未満、26才未満の男子である。
収容者の平均年齢約25歳、平均収容期間約3年半。
1000人以上の収容者と規模は大きい。

裁判で刑罰を言い渡されたものが収容され処遇し、
再び罪を犯さない人として社会復帰させることを目的として、
改善更正の意欲の喚起、社会適応能力の育成に努めている。


・・・到着後さっそく収容者の施設に立ち入り
日常作業を見ることになった。

頑丈な扉を案内人の教官が開けると、ブザーが大きく鳴り響く。
扉を閉め、施錠すると鳴り止む仕組みである。
3メートル先にも同じように頑丈な扉があり
そこから開けると収容施設である。

扉や窓に、鉄格子があるものの、昔の学校のような感じである。

前方に8名程収容者が行進をして来た。
教官が一人付き、その号令にあわせ歩く。
「1、2、1、2」低音の力強い声で足並みを合わす。
全員、薄いグレーの作業服を着て、作業帽子をかぶって、
前を見据え行進している。

号令をかけていた教官が、私達に気づくと、
「停止、右を向いて待機」とその収容者に声をかける。
私達の通り過ぎるまで、背を向けて待つのである。

収容部屋を見る。
20メートル近くある(ように見えた)廊下の両側に
鉄格子の扉がずらりと並んでいる。
作業中のようであり、収容者はいない。
見せてもらった部屋は、4畳程の空間である。
トイレが奥の窓下にあり 便座に座った下半身が
隠れる程度のついたてが手前にある。

その手前にはテレビがあり、
その下には靴箱を大きくした程のロッカーが2台
ダイヤル式の鍵が付いており、その中に
持ち物をしまえるようになっている。

借りた本、勉強道具などロッカーに入れば
数量は関係なく所持できるということだ。
布団が畳まれて角をそろえ重ねられており
とにかく徹底して掃除されている。

そこは2人部屋である
見渡すどの扉にも名前が2つ貼ってあった。

完全な個人の空間はそのロッカーだけであろう。
当然そこ以外は他人の関与は避けられない状況である。

その空間で生活をする。

恐らくそこでは物質的な個人表現は出来ない。
着る物も規定がある、社会で金持ちだろうが皆同じ状況であり、
号令と共に足並みをそろえ、生活をする。

そこで人はどういう感覚になるのか・・
人にとって罰とは・・

説明できそうである。


話はいったん戻り、続いて作業場である。
そこでは収容者がずらりと並び、黙々と作業をしていた。

その前を歩く。印象に残る景色であった。





続きは次に・・

2009年9月18日金曜日

刺青のある景色

テリトリーの話。

最近家の近所は、道路工事が多い。

区画整理である。
実は私の家の区域も対象であり
気に入っているこの家も、いずれかは離れる事になる。

まあ仕方が無い。

それにしても、大型トラックを見てると、
ぶつからずにトラックぎりぎりの道幅であろうが
いともたやすく狭い道をすり抜ける。

・・先日、井の頭公園に、1.2メートル程のどっしりとした
木の枝が落ちていたので、その枝を持って踊ってみた。
枝の先に、木の葉や、樹木、土が触れる。

恐らく目を閉じてもその先に触れるものは誰もが
判別できるだろう・・枝の先に感覚がある。

つまり、それは物質体であろうが、身体の一部になっているようである。

乗用車から大型トラックの運転手
ジャンボジェットのパイロットや
巨大タンカーの船長まで、皆乗り物の大きさを感知し
生身の運転手の感覚が物質体であるモノの全体に入り込み
コントロールしているのである。

それはまさに運転手の一部である。
純粋に人間の能力はすばらしい。



しかしモノには”個人的”な占有意識が大きく入り込めば、
別の感覚が芽生える。

例えば購入した車、もちろん家、洋服や、装飾品
(高価であればなおさら占有意識が強く沸く傾向を感じる)
所有物やモノに、持ち主の身体意識が及び、
生物的保身感覚が強まっていく。

つまり身体のテリトリー(領域)となり、
気持ちの上でも身体の一部となる。

例えばこのような見解はどうだろう・・

他人の車と当たる、接触事故があったとする。
停車中の車にこつんと当たって、怪我も何も無いとする。
当てられた側は、1センチの傷が付いて、血相変えている。
つまり、当てられた側は、高価なものという感覚だけでなく、
受動的立場であり、身体テリトリーが傷付いて、
自分自身が傷ついてしまったように思えるようにも見える。

当たった側は、言い換えれば他人のテリトリーに侵略した
能動的立場であり、同じ傷が付いても、身体テリトリーが
傷ついた感覚はさほど無く、傷を付けた(ある種のテリトリー侵略行為)
にたいして、申し訳なく思う気持ちが前に出るのではなかろうか・・

次に・・

ボストンバッグを肩に駅を歩くとする、すると前方から急ぎ足で来た人が、
バッグに接触しそのまま急いで通り過ぎていく。

バッグに当たり、バッグがゆれたのは確かだが、
こちらは怪我も何も無い。ここでも受動的立場の感覚である側は、
バッグを持ち歩くこちら側で、身体テリトリーが侵されたことになる。

そして占有意識が強ければ、怪我が無くともストレスを感じるのである。

急いで通り過ぎた側は、用事で急いでいたのかもしれない、
故意に当たった意識も無い、能動的感覚の立場であれば
意識はそこにはたいして残っていかないように思える。

不思議なものである。

テリトリーはいわゆる縄張りである。
だれでも自分の空間、心の領域に安易に他人が入り込めば躊躇する。
動物として縄張りを持ち安心したいのは当然である。
しかし常に縄張りを拡張しようとすることに目を向ける傾向は、
人特有の自我の働きであるが、他人と自分を比べる事にも度がある。

物質に頼らず、態度、言葉で威嚇する方法がある。
周りが危険とみなせば侵入者は減り、テリトリーは守られる。
若しくは身を潜め、なるたけ目立たなくするか。

いずれにせよそれも人間的で、否定はしないが、
そこにこだわっているとストレスは溜まりヒステリーになるだろう。


裸の状態、または総ての人が同じ服に身をまとい
何らかの理由で物質的に誇示できない場合

人間の本質がそこで初めて浮き彫りになるのである。



実は先日、とある少年刑務所を参観した。



・・つづきは後半へ

2009年9月8日火曜日

ストリートワイズオペラ、ワークショップ回想録

「ストリートワイズオペラ」
のワークショップに参加してきました。

場所は横浜の「にぎわい座のげシャーレ」にて、
内容はストリートワイズオペラの手法を学ぶというものでした。
代表のマットピーコック氏の話から始まり、後半はワークショップリーダー
ドミニク・ハーラン氏によるワークショップを体験。

すばらしい時間でした。

イギリスと日本では、ホームレスの人の年齢層
(イギリスでは平均年齢が若く40代が多い、ちなみに
推定50万人のホームレス生活者がいるとの事)
又オペラと踊り、文化的感覚の違いはもちろんあれども
ホームレスの人による芸術制作を楽しんでいるのは同じ。

毎週日曜に、イギリス11箇所でワークショップを行い
各場所12人前後の参加者と共にオペラを作り上げていく。
その規模は大きい。

それにしてもそこで作り上げたノーハウを、
さらに世界に知ってもらおうとする意欲、その姿は響きます。

学びました。

2009年8月21日金曜日

アオキジョバンニ

家の近くに市民プールがあり、良く泳ぎに行く。

重力があり地球の上に足をつけ生活をし、
重力の上で立ち続け、そこで踊っている自分にとって
浮力の中で身体を動かすことによる身体感覚は、
地上での運動との差を大きく感じる。

25メートルをクロールで進み、背泳で戻る。
泳ぎはちょっと自信はある。水を押し出し、力を抜いて
スーッと進む慣性(余韻のような感覚)が、気持ち良い。

横では夏休みの子供達が楽しそうに飛び跳ねている。

周知だが、精神分析学者フロイトの夢判断では、水は母親の象徴である。
母親の子宮内で、羊水に静かに包まれていた記憶や、
地球上における生命体の発祥という、
母なる存在から推測されているという。

そういえば確かに人は、無意識に癒しを求め、
羊水の浮遊感に漂った静寂の記憶をいとおしみ、
そしていつしか興味は無重力の宇宙へ向かって行くことは、
生物にとって当然なのかもしれない。

男も女も深層意識ではいわゆるマザコンだ。

無重力の世界、宇宙飛行士も本当に幸せそうに見える。
浮遊感の至福に包まれた宇宙空間は当然境界も無く、
周りに浮かぶ美しい星と共に、誰もが手を取り合うのだろう。

浮遊感の中で身体を動かし踊るとどうなるのか・・

そこには生物の求めるオドリになりうる本質がある・・と思っている。


宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」で、主人公ジョバンニは
乳の川(ミルキーウエイ)を渡りカムパネルラと星をめぐる、
この話は宮沢賢治が死ぬまで書き直しを重ねた、
未完成の完成品といわれている。

変容し発展し続ける総て、宇宙に目をむけると、
未完成の状況そのものが、より深い作品の壮大な
世界そのものを表しているように思えてくる。

ジョバンニは母親のために熱い牛乳を求め、最後は母親のいる家に戻る。

ただ帰るだけでなく、具合の悪い母親のために熱い牛乳を持ち、
遠くにいる父親が帰ってくることを母親に伝えたいと走るのである。
ジョバンニは良い。

さあ、宇宙を旅して、とびきりの土産を持ち、家に戻ろう。

ジョバンニは自然にそう言うのだろう。


この文章を書くうちに、赤ちゃんはなぜ泣いて生まれるのか
解った気がする・・

・・至極の静寂から、
いきなりこの”騒がしい世の中”に出て来る身になれば、
冷静ではいられない、誰だってたまったものではないだろう、
泣くのは当然である。





今回はこの辺で・・

ストリートワイズオペラ

さて「ソケリッサ!」はホームレス生活者が踊るという、
コンセプトによる芸術だが 、イギリスのホームレス生活者、
シェルター生活者によるオペラ「ストリートワイズオペラ」
というのがあるのはご存知だろうか?

これはイギリスの社会活動家として知られているマット・ピーコック氏が、
発案、発起したものである。

「ストリートワイズ・オペラ」は 音楽を通じてホームレスの人々が
より前向きに社会と関わりを持てるようにし、
また一般の人々のホームレスに対するイメージをポジティブに
変えていくことを目的に設立された英国のアート団体で、
毎週英国各地でホームレスを対象とした音楽のワークショップを実施するほか、
年に一度はロイヤル・フェスティバル・ホールなどで、
ホームレスの方が出演する大規模なオペラの公演を行っている。

2002年の設立以降、ストリートワイズ・オペラの取組みは
メディアでも数多く 取り上げられるなど、英国内外で高い評価を受けており、
最近ではロイヤル・フィルハーモニック・ソサエティ賞などを受賞している。

ソケリッサは 2006年に始まったので、
ストリートワイズ・オペラに比べれば最近である。
しかも1年間で700人の参加者が指導を受けているというその規模は大きい。
ちなみに「ソケリッサ!」の参加者で指導したのは20人ほど。

それにしてもこの情報を知ったのは最近である。

ホームレス生活者が表現をするという、「ソケリッサ!」のコンセプトは、
今の時代によって求められている芸術という中からの発祥なので、
この取り組みは現代の社会には各地存在することが自然なのだろう。
それにしても英国ではどのように展開してきたのか・・気になる。

とにかく「ソケリッサ!」共、こちらもたくさんの方に興味を持って欲しいと思います。

ブリティッシュ・カウンシルが、アートを通してホームレス支援を行う
英国の団体「ストリートワイズ・オペラ」を迎え、9月5日から9日まで
最新作「マイ・シークレット・ハート」を横浜赤レンガ倉庫で公開するほか、
8月29日から9月7日にかけて、大阪と横浜でフォーラムやワークショップを
開催します。

こちらでご確認を

http://www.britishcouncil.org/jp/japan-arts-what-we-do-current-projects-streetwise-opera.htm

ブリティッシュ・カウンシルアーツセクション

2009年8月10日月曜日

踊ります。

井の頭公園「ソケリッサ」路上ダンス。 

8 月9日、路上ダンス第3回、無事終了しました。
来て頂いた皆さん、足を止めていただいた皆さん、ありがとうございました。
皆さんの反応や、いただいた感想は、とても励みになっています。

一度来ていただいた方にも、又楽しめるようにと内容も少しずつ
変化をさせていきます。更にメンバーともども練習をして、
より良いものを提供したいと思います。

次回、第4回の予定。
09年8月23日(日曜)、14時~15時~の2回(雨天中止)。
吉祥寺駅を出て、丸井の右側を直進し、公園入口付近(右奥の森)の予定。

無料です。お気軽にどうぞ!

2009年7月23日木曜日

森の踊り




最近、おじさん達と公園で踊っている。


たくさんの人にソケリッサを観てもらうう事が、今年の目標で、
公園以外にも色んな場所で、予定をしている。

おじさん達は、いわゆる踊りの技術といわれるものは無い、
素人であり、地味である、音も鳥がさえずっている中、
流木や鉄を叩くのみで、一人ずつ淡々と踊る。
私が述べるのもなんだが、端から見れば何かの呪術的な
儀式をしている団体に見えなくも無い。
近くに来れば結構懸命に表現をしているおじさん達を
じっくり見ることが出来て面白いのだが・・

ホームレスであるという状況ではあるが、
「俺達は大変だよ!」
という踊りではなく、”森の踊り”を単純に踊る。

「泥ひよこ」や、「全身チューリップ」、「はねるオオアリ」等
踊る空間にそぐう力強いモチーフを架空に作り上げ、
それをそれぞれのイメージや、骨格の及ぶ動きで創造して振り付ける。

単純に、身体表現の力つよさ、歴史ある骨格をシンプルに提供し、
森の踊りを作っている。とにかくたくさんの人に来て欲しい。

土の上は気持ち良い。




ある出来事を一つ・・

今から8年前、ニューヨークの地下鉄に乗っていた時のこと、
車内へ乗り込んできた黒人の若者が一人、アカペラで歌いだした。

彼のソプラノは、地下鉄の騒音の中、とてもか細い声だが魅力的だった。
まばらな客に向かい、揺れる車内でポールにしがみ付いて歌う姿と声は、
(ブルースのようであったが)歌を知らなくとも心に強く響いてきた。

夕暮れの蒸し暑い車内、乗客にも華やかな印象はあまり無いし
マンハッタンの中心部を離れ、ハーレムの方になれば、
正直貧しさがあり、安心できる環境とは言いがたくなる。
数名のまばらな車内、若者グループもいたが皆聞き入り静かだった。

はたして彼はアマチュアか、有名なプロシンガーかどうかはわからないが、
そこで響く彼の歌、姿、空間。

その芸術は、とにかく印象が強かった・・

当時、私はとにかく海外のダンスはどんなものがあるのか、
新しい刺激、新しい技術をもっと習得したという気持ちでいっぱいで
約半年の滞在、毎日ワークショップをはしごし、小劇場のパフォーマンス
から有名ミュージカル、写真展、美術館から博物館、
芸術に関するものはとにかく見た。

とにかく刺激や情報が溢れ返っているといった
その状況に私自身は酔っていた気がするし、
カタチをたくさん集めることにのみ終始していたのかも知れない。

もちろん地下鉄や、駅構内のストリートパフォーマンスは海外ではさほど
珍しい光景ではない、しかしその時の彼の芸術は、自分の状況には
眩しい瞬間だった。

貧困の中、芸術に触れられない人が、芸術に触れることは価値がある
とも感じたし、ソケリッサの始まるきっかけの一要因かもしれない。

それからその数日後に、同時多発テロが起こった。

自分の無力を感じる瞬間は確かにつらい、
しかしその先には次にやるべきものが、必ずはっきりと現れる。



さて、おじさん達は何を思って踊るのか・・
ソケリッサはやはり、たくさんの人に是非とも見て欲しい。



今回はこの辺で

2009年7月21日火曜日

踊ります

井の頭公園「ソケリッサ」路上ダンス。 

7月19日、路上ダンス第2回、無事終了しました。
来て頂いた皆さん、足を止めていただいた皆さん、ありがとうございました。

まだまだたくさんの方に観ていただきたいと思っています、
更にメンバーともども練習をして、より良いものを提供したいと思います。

次回、第3回の予定。
09年8月9日(日曜)、14時~15時~の2回(雨天中止)。
吉祥寺駅を出て、丸井の右側を直進し、公園入口付近(右奥の森)の予定。

無料です。お気軽にどうぞ!

2009年7月6日月曜日

踊ります

井の頭公園内にての「ソケリッサ!」路上ダンス。

7月5日無事終了しました。観に来ていただきありがとうございます。
又、たくさんの方に足を止めていただけたことを感謝いたします。

公園入り口の右に入った所にて踊りましたが、
何人かの方は場所が見つけることが出来なかったということで、
ご迷惑をおかけしました。

次回も同じく公園入り口を入った右側のスペースにて踊ります。
メンバーも一人増え、構成の変更もあるので、一度来ていただいた方も、
初めての方も、是非立ち寄っていただきたいと思っています。

再び、09年7月19日(日曜)、14時~15時~の2回(雨天中止)
「ソケリッサ」メンバーと踊る予定です。
吉祥寺駅を出て、丸井の右側を直進し、公園入口付近(右奥の森)の予定。

気楽にお越し下さい。

2009年6月19日金曜日

踊ります

7月5日(日曜日)吉祥寺の 井の頭公園内にて踊ります。

踊り14時~15時~の2回(雨天中止)
「ソケリッサ」メンバーと踊る予定です。

吉祥寺駅を出て、丸井の右側を直進し、公園入口付近の予定。
気楽にお越し下さい。

動物ダンス

家には野菜がこじんまり植えてある。


朝起きて、まず始めに成長具合を確かめるのが日課である。

きゅうりは黄色い花をいくつか付け、小ぶりな身が数個育ち始めている。
いち早く20cm程になった1本を収穫して食べた。
トゲの立つ取れたてはみずみずしくうまい!

ナスの薄紫の花は下を向いて咲き、そろそろ実が出来る気配がある。
枝豆は20cm程、10株以上あり大量収穫が楽しみである。
春菊、小ねぎ、かぶの成長は穏やかで、
チンゲン菜は油断して、なめくじにかなり食べられた。

土を喰らい日々ゆったり成長していく姿は皆たくましい。


我が家にはブンチョウが一羽いる。
真っ白なのでシロと言う名前である。
雛から餌をあげて育て、馴れ、元気に若者に成長した。
シロは真冬でも水浴びをして、健康そのものであり、餌も良く食べる。
好きな食べ物はチンゲン菜で、小ぶりでも味が好ければ食が進む。

以前、シロを肩に乗せ、人前で一緒に踊ったことがある。
風きり羽を切っていないので、観客の方へ飛んでいくかと不安もあったが、
しっかりと私の身体にしがみつき、飛んでいかなかった。
まあ飛んだらそれで演出にしてしまおうと思っていたのだが
大したものである。観客の感想は「ブンチョウすごい」と。
一瞬で目を奪う動物の力は強固である。

家では飼い猫のハナがいない時に放すのだが、
すぐ頭や肩や腕に乗ってくる、頭や肩にフンをしてしまうのは
さほどかまわないが、困るのは私の腕や首の小さいほくろを餌と思い
「チクリ」とついばんでしまう。
これはとにかく痛い。

手乗りブンチョウなるゆえんであり、もちろん愛らしい姿であるが、
飛び回ることもない。自分の責任かブンチョウの性質か、
羽があるならもう少しは飛び回ってもいいものなのだが、
軽快にツンツン跳ねまわる”その踊り”には悩みがない。

そういえば求愛の動きがダンスといわれる鳥や動物も多く、
最近ではフウチョウという鳥のオスが、飾り羽を円形に広げメスに
求愛の踊りをしている映像を見た。彼らは皆真剣に踊り、
そしてパートナーと結ばれ子を産み生存していくのであろう。
踊りに魅力が無ければ、雄は繁殖できない。
無くてはならない繁殖の術なのである。

しかし、その踊りには緊張感があるように見えない。
そこが又憎い。

先日の話・・

私の母親が趣味でシャンソンをうたっている。
神戸で発表会があり、その横でひらり踊ってきた。親子競演である。
歌は前々より上手かったのは覚えているが、聞くのは初めてであり、
横で踊るのももちろん始めてであった。

発表会といえども、華やかな照明溢れる舞台上には
ピアノの生演奏、300席程のキャパの劇場はほぼ埋まり、
立派なソロコンサートである。

「ソケリッサ」での衣装もそうだが、最近は上半身裸で素足、
又はほぼ私服のような感じでで踊ることが多い。
しかしシャンソンと場の雰囲気で、裸はかなり違うようである。
アイロンしたシャツにスカーフを巻いてみた。

現在母親は60才半ば、歌詞の意味が深みを帯びて耳に届いてくる。
高校卒業して以来、離れて東京暮らし、全く孝行も出来ていない。
いつもと違い今回は母親のために踊った。

フウチョウの求愛ダンスも真剣だが、私の家族愛ダンスも真剣である。

踊ったのは「見果てぬ夢」という歌で、ドンキホーテが登場する
映画、ミュージカルの「ラマンチャの男」で有名な曲である。
物語の内容は省くが、老人セルバンデスはすばらしい、
彼は理想と夢を貫く姿で罪人達の心を大きく動かす。

踊るその中、母親は終始前を向いて歌い、事も無げである。


良い日であった。







今回はこの辺で

2009年6月10日水曜日

踊りました

山本萌さんの画展にて踊りました。

お誘い下さった山本萌さん、
見ていただいた皆さんに感謝しています。

皆さんの言葉と力は、私たちの心強い追い風になりました。

ありがとうございました!

7月18日(土)~23日(土)神戸のギャラリー島田にて
山本萌さんの画展があります。
私たちは踊りませんが、近郊の方は、素敵な空間へ是非どうぞ!

2009年5月21日木曜日

踊ります

5月24日(日曜日)三鷹ギャラリーオーク 
山本萌さんの画展にて踊ります。
素敵な画展です。

踊り15時~。入場無料。
「ソケリッサ」メンバー4人と出演予定。

1年ぶりにおじさん達と踊ります。
20分ほどですが、是非お立ち寄り下さい。

2009年5月19日火曜日

トーキョー18才、春

我が布団ににもぐり込み懐に身を寄せて寝ていた猫のハナが、
布団の外に出て寝るようになった。

すっかり春である。

目覚ましの音も、暖かいと聞こえ方もやわらかく変わる。
布団の外の出るのが億劫にならないのも良い。
日が伸びるせいか、時間もゆっくり流れるように思える。


その日は中央線の高円寺で打ち合わせがあり、昼には終了、
春の日差しの中のんびり駅へ向かう。

春に吉祥寺の井の頭公園で、ソケリッサのおじさん達と踊ろうと
思っていたので、そのままひとり下見に向かうことにした。

車内より外を見ると、阿佐ヶ谷の町が見えてきた。
そこは兵庫県から上京して、最初に住んだ町であり、
流れる目前の景色の中、高校卒業間もない時分を簡単に思い出す・・



学校もアルバイトも何も決めないまま、
自分は高校卒業3日後に東京に来た。
何とかなると思っていた無計画な東京生活の始まり方は
なんだか気に入っている。

東京にいる親戚が見つけてくれたアパ-トは、
駅沿いの落ち着いた商店街を歩いて10分程。
大家さんの家の門をくぐり、庭をこそこそと進むと、
敷地内にそのアパートがあった。
木造二階建て、1階に3部屋、
2階は大家さんの息子夫婦がすんでいる。
部屋の間取りは6畳一間、トイレ共同、
風呂なしで4万8千円、一人暮らしが始めての事、
高いのか安いのかもよく理解していなかった。

自分の部屋は入り口を入り一番手前、
隣もその隣も大学生のようである。
隣に挨拶に行くと、きれいな身なりの中背のお兄さんが、
ぼそぼそと「あ・・よろしく。」と声が帰ってきた。

まさに東京の言葉、東京のしゃべり方に思えた。

大家さんの老夫婦はとても優しく、
東京生活に身構えている自分は、
その笑顔のおかげで幾分か肩の力を抜くことが出来た。
そのうち学生時代の友達が東京に遊びに来ることもあった。
友達と騒いでも大家さんはやさしかった。
注意されないのをいいことに騒いでいた記憶がある。

友達が来ると、新宿や、渋谷、原宿の街を案内する。
最先端の街を自慢し、人の多さや、ファッション、
田舎と比べ、友達が驚く事に優越感があった。

ビルが隙間無くきっちり立ち並び、
都会の濃い灰色の景色は、
いわゆる皆の持つ冷たいイメージの要因であり、
当時の自分にとっては、そのクールな景色すべてに
染まろうとしていたような気もする。

自分にとっては、それが東京人になり、
注目されるための条件であったのだろう。


近所に行きつけのラーメン屋があり、
そこでは安くて大盛りのチャーハンをよく食べた。
300円そこそこで、大盛りでも400円くらいだった気がする。
8人も座ると満員の店はかなり年季が入り、
机も床も油で汚れている。真面目そうなやせたおじさんが、
いつも一人で働いていた。

そのおじさんには制服姿の金髪の高校生(に見える)の息子がいて、
彼は学校から帰ってくると、店の入り口をせわしなく開けて
店内を通過し、そのまま奥の住居らしき階段を上がって行く。
おじさんが「お帰り」と言うのだが、彼はいつも無言だった。
忙しくても手伝わず、やがてすぐに外出していた。
その出て行く後姿をおじさんはちらりと目で追いかける。

何度か目にするその情景の中、自分はただチャーハンを食べる。


又、商店街には古本屋があり、たまにふらりとのぞく。
ガラガラと引き戸をあけるとそこは、古書特有の香りが充満している。
店の奥に静かに座る初老の店主の放つ空気は、
店内にならぶ古書を読破し、世界を達観したように見えてしまう。
当時の自分はその店主を”うならせる”本を選ぶことができず、
ただ買いたい本が無いそぶりで店を出ていた。


アルバイトは焼鳥屋の皿洗い、70才近いおばあちゃんと二人で、
皿を洗っていた。おばあちゃんはとても良くしてくれて、
昔話や、テレビ番組の話を良くしてくれて、
おやつで買った団子をいつも半分くれた。

ある日、無駄に水を出したまま、違う作業に取り掛かり、
「もったいない!」とおばあちゃんに注意をされた事があった。

悪いのは自分と判りながらも、その日は自分から
おばあちゃんと口を利かなかった。

次の日「ごめんね。」と謝ってきたのはおばあちゃんだった。


・・・ふと思い出した18才時の自分である。


実は2年ほど前、阿佐ヶ谷に用事があり、
街を歩いたことがある。アパートも、古本屋も
中華料理店も、おばあちゃんのいたバイト先も
既にどれも無かった。


井の頭公園はたくさんの花見客で埋まっていた。
花見は経験無いが、とにかく楽しそうである。
公園の管理事務局に顔を出し、職員のおじいさんに
「勝手におどっていい。」と言われる。

「すみません、ありがとうございます。」と返した。

ソケリッサ!メンバーのおじさん達と
そこで踊っているイメージを膨らます。

桜が満開の中、なかなか変な踊りだった。


どうやらおじいさんやおばあさんに縁がある・・
と思いながらであった。



今回はこの辺で。

2009年4月30日木曜日

先生道

小学生の頃

大きな声で自分の名前を言うと、「元気がいいね。」と先生は褒めてくれた。
自己紹介ではいつも誰よりも一番大きな声で名前を言うようになった。

その後中学に上がり、入学式当日、大声で自己紹介をすると、
「もう少し静かに。」と担任の先生に言われ、クラスの皆に笑われた。
もっと中学生らしく、とのこと。

らしくとは何か?説明して欲しかったが、
聞くと笑われそうなのでやめてしまう。


さて今回は表現について

踊ることは、自分自身の思いや、考えを外側に形にし、肉体に表す、
そしてそれに触れた観客の反応があって自分自身の存在を確かめる
ということであると思う。これは表現手段の一つ。

舞踏家、芸術家でなくても、身振り、動作、表情、会話、
字を書くのも全て表現、人は皆様々に表現している。(この文章も同じく、
どう形にしようかと現在も思考しながら文字にしているのである。)
おのれの内面的な事、主体的な事は、外面的に形象化することに
苦悩してしまう。しかしながらその舞台、ハードルが大きければ大きいほど
達成後に得るものは大きい。比例し、得もいえぬ熱いものが身体に満ちる。

表現は、自分自身の存在を確信できる。
当然、とてもデリケートであり、否定されれば人はつらいものである。

例えば自分の場合、舞台公演がある。そして演出、振り付けをこなすので
あれば、綿密にテーマをもとに動きを熟成し、細部にいたるまでこだわる。
もしインタビューがあればその踊り全てに至る経過や理由まで説明できる
程をめざす。(説明しないが)生業であるが故、当然だが、
とにかくゆるぎない芯を生み出す作業に没頭するのである。
そこに初めて自分の表現に一貫した説得力を生じさせることが出来る。

否定を恐れ、保守的になればいとも簡単に”表現という型”にはめてしまう
(はまってしまう)のではないだろうか。
つまり多人数の良いと言った事は、いいものだと思い込み刷り込まれ、
熟成を行なわない。又、気が強い人間の表現を抑圧的に押し付けられて
自分の表現だと勘違いしまっている場合もある。
そこに慣れるといとも簡単に、その本人の持つ心的状況、
過程や志向も全て閉ざしていることに気づかないという状況に陥ってしまう。


自分は踊りを子供達に教え、年配者に教え、ダンサーに教え、
時にタレントに教え、「ソケリッサ!」のホームレスのおじさんに教える。

生徒は講師の振り付けを踊る時もあれば、
自分で振りを作るときや、自由に踊る時もある、
振り付けや言われた形ではなく、
自分の感覚の度合いがふえる動きになるにつれ、癖やゆがみが見え始める。

ゆがみとは身体はもちろん、特徴的性格や、志向を差す。
ゆがみは皆持ち合わせている。
いつも照れて肩をすくめて踊る子供や、常に指先が伸びなかったり、
常に中腰の女性、必ず目を閉じるおじさんや、やたら転がるおじさんもいる。
いわゆるそれこそが、自己表現の入り口であり、
ついつい目が離せなくなってしまう。

癖やゆがみの強い人間こそ、やはり価値観を揺らし
世界を切り開く逸材に思えてくる。
心的状況や思考をさらけ出せることは、
自分だけのものを創り出す力。既製の型を壊す力である。
逆にゆがみを隠したり矯正したりすることが、緊張、苦悩、
停滞の原因になっている人もいるのではないだろうか。

人と比べることに時間を消費せず、
素直にゆがみを突き通している表現は、人の心に響く。



とにかく人の上に立ち、教えるという事は容易ではない、
我が学生時代はどうだったのか思い返す。
・・・正直、学校での勉強の記憶は薄い。
もちろん淡々と授業を受けている記憶はあるが、
強く覚えている出来事は、人との関係が、壊れたり、深まったり、
そんなことが多い。学生時代に留まらず、人と人との関係や、
つながりは、生きるうえで常に必須科目であるように思える。

教えるという事は常に生徒を観察し、本質に向き合い続ける連続である。
指導者と生徒の関係やつながり、表現を見せる相手との関係やつながりは、
誰に教える場合でも必要であり、避けては教えられないのであろう。



先日、足の付け根を痛め、歩けなくなっていた
「ソケリッサ!」メンバーのトミさんが、
練習に顔を出した。まだ足を引きずる状態で、見学のみであるが、
良くなってうれしい。

トミさんは当然ながら自分より遥かに過酷な人生を送ってきた、
人生の先輩である。68才のトミさんは、
いつも自分を「アオキ先生」と呼ぶ。
とても信頼してくれているのがその度伝わる。


精一杯「先生」でいつづけようと思う。



今回はこの辺で・・

※宮崎による代理投稿。執筆はアオキ裕キ

2009年2月18日水曜日

ソケリッサ!再び

太陽がさんさんと差し込み
部屋の窓辺にある桜の植木は、
花をちらほら咲かせ始めた。

なんだか桜が花を咲かせる様子は、
人の出産から成長への過程のようである。


実はとても簡単に見える開花の作業は、
硬い木の枝に強烈な気合でつぼみを噴出し、
聞こえない怒涛の産声と共に誕生しているのである。

直径20センチの鉢植えに、複雑に湾曲した
すりこぎ幅の幹が30センチ、
その幹から四方へ10本程の小枝が長短伸びる。

薄ピンクに開いた花は、
根元近くに大小五点、上端に二点。

そして、その輝かしい生誕の幹に、
身体をこすり付けて飼い猫のハナは横切り、
力つよく咲いたばかりの美しい桜の花は、
いとも簡単にポロリと床に落ちる。



さて、今年もソケリッサ!(※)の練習が始まった。

先日1月末、前回出演したメンバーの
おじさん達5人と意気揚々顔を合わせた。

その日は練習初めであったので、
まずは今年の活動予定をきめる。

ソケリッサ!の公演は、昨年、一昨年と2度行なっている、
「昨年の公演はどうでしたか?」改めて聞いてみた。

「紙ふぶきが苦しい。」とメンバーの一人。

昨年の本番、大量の紙ふぶきを撒き散らすシーンがあり、
その中央でおじさん達は歌を歌い、セリフを叫ぶ。

「あれは大変で、前が見えないから、今後はやめましょう。」とのこと。
別のおじさんは「入れ歯が落っこちたのはばれなかったけどな、ハハ。」
「ストーリーのある人情ものなんかどう?」「次は是非大劇場で!」・・
とこんな感じである。

3度目の公演ともなると、それぞれ演出にも意見を出し始めた。
自分のやりたいこと、もちろん単なる思いつきの意見や、
お客さんの観想を受けての意見、皆から様々出て来た。
無口な初回公演の練習を思い出す・・

比べれば今や、おじさん達がひとまわり大きく見えてくる。

土建屋だった、通称”親方”は
「親のいない子供達のいる施設で、
見せるのもいいんじゃねえか・・あと温泉とか。」
いまいちせりふのバランスが取れていない気はするが、
少なくとも前半はすばらしい。

舞台は、今年の夏に東京公演と
大阪公演がやりたいと思っていたが、
多くの人に、見て知ってもらう方法としても路上は良い。

ソケリッサ!に土の匂いは合う。
いずれは必ずやりたかった事である。
路上に会社や、学校や公園他、どこでもやれたらそれは面白い。
おじさん達の意見も「あの公園はいい。」「都庁前の広場は広い。」等、
話は展開、舞台公演はひとまず先に、
年末か来年頭にしようと意見を統一した。

これからはまず春先の路上に向け、練習である。



・・だがここですんなりとは行かない。


実はその次の練習日、集まったのは2人であった。
話し合いをしたメンバー5人のうち3人は、
来れなくなったのである。

まず一人は掃除の仕事を朝5時から毎日することになり、
体力に不安があるので、しばらくは仕事に専念することに。
路上の冬は当然疲労が溜まる。

今回は仕方ない、もちろん健康は第一である。

もう一人は酒を飲んで、酔った状態での練習参加だったので、
これは問題あり、 一度しばらく休んでもらう事に。
前から酒好きで、いつもは終わって飲むのを
楽しみにしていたのだが・・

もう一人は右足の付け根がしびれ、
歩けない状況に・・しばらく療養することに。
その歩けない”トミさん”は現在68才、
練習をいつも楽しみにして、練習期間が開くと、
「次回はいつか?」と連絡をしてくる。常に熱意を持ち、
表現力もすばらしい。

一昨年にはお金をため、路上からアパートに移り、
今は生活保護で生計を立てている。

実はトミさんは、子供の頃ヤギに乗って遊び、
転落して頭を打ち、成人後に後遺症でしびれが現れ、
手術をしたという過去がある。

心配したのだが、検査の結果そこからのしびれではなく、
足の付け根に水がたまったとの事・・

見舞いに行くとちょうどご飯を食べた後で、
魚の缶詰とプラスチックの皿にご飯粒が残っていた。
見回すと同じようなゴミがコンビ二袋につまっている。



あまりバランスが良いと思えない食事を
一人で食べている姿を想像してしまう。


ここ最近はゆっくり歩き公園へ散歩に
行けるまでなったと話していた。
「いやーハハハ、早く復活し、又戻ります。」
路上で折れなかった精神力は、そう簡単に萎れない・・。

出来れば全員続けて次回も邁進したいが問屋は卸さない。


ソケリッサ!は昨年の3月から
しばらく活動をしていなかったものの、
興味を持ち、取材等ときおり
連絡をいただけることはうれしく有り難い。

先日もある劇場関係者が練習見学に見え、
おじさん共話しをする機会があった。

自分「・・ソケリッサ!の始めた頃、
おじさん達は大人しかったのですが、
今では率直に意見を言ってくれたりするように・・

肉体表現をたくさんの人に見せて、
伝えようとする意識が大きくなってきたのかも知れません。」
「・・何のためにソケリッサ!に参加していますか?」

”親方”「うーん、おれは健康のためだ。」

親のいない子供達のため、はどこかへ
しかし確かにその通り、健康は一番大事である。
それが言える事はすばらしい。


苦労して練り上げたもの・・芸術でも常識でも、
それらが完成した瞬間にそれをあっさり破壊してしまう潔さ。
おじさん達と作り上げる芸術は、底知れぬ何かが詰まっている・・
と思ってしまうのである。






続きは次回に・・




ソケリッサは「前進する」といったイメージの造語です。
ホームレス境遇者が、ライトを浴び人前に立ち踊ると
どのような表現をするのか、意識や骨格から何が出てくるのか、
又、一人の表現者として、自分が同じ場所に立つ場合、存在はどうあるのか・・
この思いから始まったこの企画は07年の1月に第一回公演、
08年3月に第二回公演を終えました。

現在ソケリッサ!の運営を手伝っていただける方を募集しています。

アオキ裕キ

問合せ先 ビッグイシュー基金

※宮崎による代理投稿。執筆はアオキ裕キ

2009年1月21日水曜日

家族愛

新年明けましておめでとうございます。
本年もいっそうの御愛顧よろしくお願いします。



今年は正月の話から

さて、一年で国民が最も幸せを願う、縁起エネルギー溢れる正月、
そしてそこからそれぞれの日常にもどっていく過程、
この一連の感覚は自分の好きな時間である。

休みが長くなればそれだけ身体もだるくなり、
重い腰を上げ、日常モードに戻さなくては・・と一般論に思うかもしれないが、
実は5日間ほど正月を過ごした身体は、とてもリラックスした状態であり、
休み明けの踊りは、開放的に思考と身体が使える最高状態である。

新年の希望を抱き、緩んだ思考と身体、
この状況が保てれば人は病に伏せる確立が減るような気がするのだが・・

しかし残念、どうやら逆が常になっているのである。


初詣は高尾山へ行った。

頂上近い薬王院有喜寺までは二人乗りリフトとケーブルカーが設置されており、
リフトに関しては全長872メートル 、山上駅まで約12分と記されてある。
目的地は山上よりさらに20~30分ほど歩く。

もちろんふもとより歩いて登りお参りをする人も多い。
自分も過去一度歩いたのだが、次の日見事に筋肉痛に苦しんだ。

歩きだと約1時間半。本来はそうかんたんに目的地に行けない事に意味があり、
そこに御利益もありそうなのだが、自分は楽をしてリフトに乗る。

薬王院有喜寺HPによると1260余年前の天平16年(744)に”開山”された。とある、
つまり山頂の建物だけではなく、山自体が信仰対象であり神様なのである。
自然や物を大事にし、自然とともに暮らすという古人の発想は素晴らしい。
よく岩や巨木などに注連縄(しめなわ)が巻かれたりしている光景も同じく、
自然のなかに神様が宿るという事なのである。

そしていわゆるその神の領域を、現在参拝者はリフトを使い、
楽をして幸せそうに登る訳であり、
ある意味これは贅沢なのか愚行か本質はよくわからなくなる。

とにかく今年は快晴で、緑溢れるふもとから都心までリフトより一望出来た。
リフトから降りて、甘酒やお団子の溢れる山道を歩き目的地に着く。

神前にて手を合わす。




昨年末「家族愛」という作品を作った。
出演者は自分の生徒達中心で、小学生から主婦までと年齢層は幅広い、
衣装は白Tシャツ。

胸にはそれぞれ 子供 おじいさん サラリーマン 母 中学生 三才 
アメリカ人 となりの人 婦人会役員会長 にわとり 木・・
小学生だろうがおじいさんだったり、サラリーマンだったり、日常や年齢等関係なく、
出演者それぞれの書いた習字でプリントしてある。

今回様々な家族形態をシャッフルしたかったのである。

つまり舞台上では”子供”とプリントしてある主婦と、
”サラリーマン”の小学生が一緒に踊り表現をするという、
文章上ややこしい関係が繰り広げられるのである。
組み合わせや、表現形式で、見ていると様々な景色が広がってくる。

作品制作は潤滑で、出演者は懸命に表現に徹し、
それぞれの家族の捉え方も浮かんできた。


ここで昨年のインドでの話。

ブッダガヤでお経のCDを売っていた少年、
バラナシでの花売りの少女達、父親の土産店に盛んに誘う少年、
彼らは皆10代そこそこで、対等に英語で話しかけ値段交渉にも
大人顔負けで応じる子供はたくさんいた。
必死にお金を稼ごうとしているのである。
彼らは皆、親のため、家族の生活のために
働いていると当たり前のように話す。

家族愛である。

タクシーや物売りのおじさんは、
あどけなく笑いながら平気で10倍もの金額を提示する。
子供で大人、大人で子供、別に何でもいいのである。
牛も道を歩き、サルも町にいて良いのである。

カテゴリーとはなんだろうと感じた。

整理も程ほどにしなければならない。
さもなくば何もかも名詞で分類し、
名詞の優越で、その価値も決めてしまうことになる。
本質は消え行くのである。

ちなみに自分の胸のプリントは”さる”であった

さて舞台の方はおかげさまで満席となり、
見に来ていただいた子供から、お年寄りまで、
楽しめたと、暖かい感想をたくさんいただく事が出来た。

「ソケリッサ!」のおじさん5名も皆来てくれた。
現状3名はまだ路上で寝ている暮らしである。
差し入れにおじさん達はどら焼きをくれた。
有名銘柄で8個入り、何千円かはするはずである。
このどら焼きは格別おいしかった。

それぞれの家があり、家族があり、暮らしがある。
観客も出演者も、その宴の後現実の家に帰って行く。

自分の芸術活動が成り立っているのは
本当にたくさんの方々のおかげであり、感謝しきれない。
このまま甘んじていれば地獄行きは確実である。


神前に手を合わせ、顔を上げた。
不況ということもあり今年は昨年よりも参拝者は多い。
子供の頃は、思いつく願い事を片っ端から並べて、
よく長い時間手を合わせていた。
今では基本的に時間短縮、
さっぱり感謝と無心で手を合わすことが多いのだが・・

今回は、家族の幸せである。

帰りもリフトに乗った。




さて今年もソケリッサが始まる。詳細は又次回に・・

※宮崎による代理投稿。執筆はアオキ裕キ