2009年8月21日金曜日

アオキジョバンニ

家の近くに市民プールがあり、良く泳ぎに行く。

重力があり地球の上に足をつけ生活をし、
重力の上で立ち続け、そこで踊っている自分にとって
浮力の中で身体を動かすことによる身体感覚は、
地上での運動との差を大きく感じる。

25メートルをクロールで進み、背泳で戻る。
泳ぎはちょっと自信はある。水を押し出し、力を抜いて
スーッと進む慣性(余韻のような感覚)が、気持ち良い。

横では夏休みの子供達が楽しそうに飛び跳ねている。

周知だが、精神分析学者フロイトの夢判断では、水は母親の象徴である。
母親の子宮内で、羊水に静かに包まれていた記憶や、
地球上における生命体の発祥という、
母なる存在から推測されているという。

そういえば確かに人は、無意識に癒しを求め、
羊水の浮遊感に漂った静寂の記憶をいとおしみ、
そしていつしか興味は無重力の宇宙へ向かって行くことは、
生物にとって当然なのかもしれない。

男も女も深層意識ではいわゆるマザコンだ。

無重力の世界、宇宙飛行士も本当に幸せそうに見える。
浮遊感の至福に包まれた宇宙空間は当然境界も無く、
周りに浮かぶ美しい星と共に、誰もが手を取り合うのだろう。

浮遊感の中で身体を動かし踊るとどうなるのか・・

そこには生物の求めるオドリになりうる本質がある・・と思っている。


宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」で、主人公ジョバンニは
乳の川(ミルキーウエイ)を渡りカムパネルラと星をめぐる、
この話は宮沢賢治が死ぬまで書き直しを重ねた、
未完成の完成品といわれている。

変容し発展し続ける総て、宇宙に目をむけると、
未完成の状況そのものが、より深い作品の壮大な
世界そのものを表しているように思えてくる。

ジョバンニは母親のために熱い牛乳を求め、最後は母親のいる家に戻る。

ただ帰るだけでなく、具合の悪い母親のために熱い牛乳を持ち、
遠くにいる父親が帰ってくることを母親に伝えたいと走るのである。
ジョバンニは良い。

さあ、宇宙を旅して、とびきりの土産を持ち、家に戻ろう。

ジョバンニは自然にそう言うのだろう。


この文章を書くうちに、赤ちゃんはなぜ泣いて生まれるのか
解った気がする・・

・・至極の静寂から、
いきなりこの”騒がしい世の中”に出て来る身になれば、
冷静ではいられない、誰だってたまったものではないだろう、
泣くのは当然である。





今回はこの辺で・・

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