2008年9月17日水曜日

越境節

今回のブラジルは、サンパウロ~マナウス~ブラジリア~
クリチバ~リオデジャネイロと渡る25日間の行程であった。

海外の地で踊り得る何かは、それが何であれ、
表現者として血が騒ぐモノを感じる。

なにはともあれとにかくブラジルは遠い国であった。
片道約20時間の飛行時間である。

この自由のきかない特殊な閉鎖空間に20時間は凄い…。
乗客は皆、何を想いじっとしているのか考えてしまう。
そして渡航先に着くや否やその閉鎖空間から一気に解放させられるのが又凄い。
そこには飛行機による麻薬的効果を感じてしまう。

海外旅行に対し人々が特別な何かを感じてしまう
エッセンスの一つでなのであろう。まさに旅行とはTripである。

そうこうして、ラテンの熱いエネルギー溢れる
色彩豊かな地に到着したのだが、降り立ったサンパウロは
ちょうど冬の終わりであり、天候の悪さ、人通りの少なさ、
ビルの雰囲気も全て灰色といった感じである。

さて、今回の作品では現地のダンサーが数名参加するシーンがあり、
自分たちと7公演同行することになっていた。早々に顔を会わせた。
彼らは見事に自分の求めていたブラジルをその後見せつづけてくれた。

ブラジル=サンバとすぐに結びつけるのは、
ブラジル人ダンサーとしては実はあまり良い事ばかりではないようで、
他の踊りも踊れると言っていたのだが、
自分はやはりついついラテンのエネルギー溢れる
サンバやサルサの文化を彼らに感じてしまう。

彼らはどこであろうとラテンのリズムが流れていれば、
美しく身をゆらし陶酔し始める。それはとてもナチュラルであった。
一度、自分も彼らのようにラテンのリズムに陶酔してみようと
試みたのではあるが、どうしても形式だけになってしまう。

どうしてもナチュラルではない。かといって日本の祭り囃子が流れていれば、
自然に踊り出せるかといってもしっくりはこない感じである。

ラテン文化とは全く正反対の場所に位置する日本では、
逆に、心地よい音楽が流れていても静かに耳を傾けるのが
日本人らしく違和感がないのかもしれないと思ってしまう。

もちろん祭りでは大いに騒ぐのだが、
日本人の日常では堪え忍ぶ美なのであろう。
しかし自分は現状を打破すべく、
今後も彼らのように美しくリズムに陶酔をこころみる気がする。

旅も半ばのクリチバでのエピソードであるが、
滞在したホテルのサウナでブラジル人ダンサー二人と
たまたま一緒になった。二人とも美しく、四畳半ほどのサウナ室には
水着を着ている状況で三人座っていた。

もちろん彼女達はその状況に全く抵抗は無いようである。
彼女達はおもむろに「あなたは隠している」と言ってきた。
この状況での「隠している」とは水着くらいである。
しかし「隠している」とはどうやら自分の踊りについてであり、
表現に対しての素直な興味であった。
(これは誰でも勘違いしそうなモノだともうのが。落語のようである)

「踊っているときあなたは何を考えているのか?」
「禅を表しているのか?」と質問してくる。

自分の踊りは何も隠しているつもりはないのであるが、
確かに彼女達のオープンな踊りとの違いは大きいようである。
街角でハグやキスをすることに対して全く抵抗のない彼女達の
表現に比べると、自分の表現は確かに隠し事だらけに
見えるのかもしれない。

踊っているときはあまり何も考えていないし、
たまたまそう見えるだけだとは思う。
もちろんスタイルではないので、また生活とともに変化をしていくのだろう…。
彼女達のオープンな踊りはしっかりとリアリティがあり、
とても素敵である。お互いにとって、表現形態はとても興味がある。



さて、ブラジルに日本人が移民として生活を始め
100周年という節目である。自分はぜひその踊りをそして
作品を日系人に見て欲しいと望んでいた。

神戸港より日本人が移民として初めて出発したのが明治四十一年。
ブラジルに渡航して、移民を取材し、
小説にした石川達三氏の「蒼民」(そうみん)
では、当時の移民事情は明るいものではなく、
荒涼とした土地での農業は出稼ぎとはほど遠いものであった。

その厳しい現実と向き合った時、帰国することは無理であると確信したのである。
そこには希望に満ちた移民制度というイメージは見えない。
世界には約270万人以上の日系人が生活しており、
ブラジルはその中のトップで140万人以上ということである。
日系人としてどういう感覚で日本を見ているのかは興味があった。

サンパウロの劇場にて、日系人のおばさま達と話した時の事である。
「見に来るのを楽しみにしていたのよ!」とかげりの全くない
ブラジル人の明るいテンションで話しかけてきた。

聞くところによれば皆日系二世。5人のうち3名は日本人の風貌であるが、
後の2名はやや浅黒い肌で南アジアの雰囲気をもつ顔立ちである。
つまり移民として渡ってきた日系人は、
日本人同士で結婚すると限られるわけではない。
二世三世と混血化をしていく事は当然なのである。

一緒に同行したブラジル人ダンサーにも2名の日系人がいた。
彼らは言われなくては日系人だと判らない顔立ちであった。
ブラジルは多国籍国家である。

世界各国の特色や肌の色を持つ人種が混在している事に
もともと抵抗は少ないと言えるようである。

それにしてもハーフやクオーターの人には美しい顔立ちが多く思える。
これは生物の子孫繁栄本能として良い遺伝子を残していこうとする力と
関係があるような気がするのだが、もしも数億年後の世界が
混血の子孫で満ちあふれたのなら、国の境は薄いモノとなり、
世界不和は減るのかもしれない。

各国間で遺伝子交配が無い未来に向かうより、
そこには明るい展開を感じる。



マナウスに住む日系三世の通訳の学生に
日本に住みたいと思うか尋ねた。
「日本へは2度帰った。大好きであるがきっとブラジルにいる」と答えた。
そして「日系二世はブラジル生まれではあるがほぼ日本人の容姿をしている。
幼少時代はやはり日本人はめずらしく、容姿のことでつらい思いを
したこともあるようで二世には日本をあまりよく思っていない人もいます。

三世は混血化によりブラジルになじんでいる分、
に自分のルーツである日本に興味を持つ人も多い。
結構日本に住んでいますよ」とのことである。
ちなみにタレントのマルシアは三世。
サッカーのセルジオ越後は二世で日本に戻っている著名人である。

もう一人の通訳をしていた20代の女性は、大学で日本を教える傍ら、
よさこいソーランのチームを日系人仲間とつくり、踊っていると言っていた。
彼女は日本からよさこいソーランのビデオを取り寄せ練習しているようである。
「日本は一度帰ってみたいが飛行機が高いからね…」とぼやいていた。
ブラジル人にソーランを見せたいととにかく楽しそうであった。

彼らは日本人の見ていない日本を見ているようである。
そしてみなハッピーである。



ブラジリアにあるテレビ塔には展望台があり、周りを一望できる。
近年、サンパウロより首都を移したその都市は砂漠の中にある。
中心はお台場のようであった。
そこでブラジルの子供達の遠足らしき一団と一緒になった。
彼らは自分が日本人に見えないと言って、楽しそうに騒いでいた。


自分も楽しかった。





今回はこの辺で。

※宮崎による代理投稿。執筆はアオキ裕キ