2008年8月13日水曜日

ニューきらぼし

先日、昼下がりの中央線車内にて、
目の前に座っている女子高生2人組の会話が聞こえてきた。

最近、小中校生に踊りを教えている事もあり、
なんとなく注意が向かった。

閑散とした電車内、小説を読んでいる自分の耳には、
彼女達のイケメンについての議論が飛び込んできた。

ちなみに「イケメン」は今では広辞苑で引く事のできる言葉である。
漢字をあてると「いけ面」。いけているつらである。
10代の創る言葉の勢いを感じる。

将来に残っていく言葉かどうか判らないとしても、
停滞なく新しい言葉を創造していく10代のエネルギーはすばらしい。
中高年層においても、どんどん日常的に
新しい言葉を生み出す事があってもいいと思うのだが。

さて、その女子高生達なのだが、
その会話の対象がどうやら目の前に座っている自分の事であり、
そしてその自分がイケメンかそうでないかを議論しているのである。

細かい会話の内容は自意識過剰にもとられかねないし、
面倒なので差し控えるが、とにかく自分は彼女達程の
子供がいてもおかしくない年齢である。

しかし相手が誰であれ、他人に評価されるとなるとやはり
イケてる方が良いと心に思っている自分がいる。

そこでいきなり自分が踊り出しでもすれば
予想の出来ない展開で話も面白いのだが、
さすがに度胸は出なかった。

一般的に思えるのだが、ぎこちなく小説に目を落とすのみである。



話は少しそれるのだが、小中校生を見て最近感じる事は、
まず驚異的な成長スピードである。
踊りを習う生徒達も、頻繁に会っているにもかかわらず
明らかに身長は伸び、急激な成長をうかがう事ができる。

これは親になり成長期を過ぎると忘れていく
感覚なのかもしれないが、その子供が成人へと急激な
成長をしている時期において、実は彼らの心には
かなりのストレスがかかっているのを感じる。

それは明らかに肉体の成長に精神の成長が追いつかないのである。
生まれて十数年の人生では世の中に対しての存在の仕方、
あまりあるエネルギーの使い方等はバランスをとる事はなかなか難しく、
自分自身の外に広がる無限の世界に対しての不安は
大きくて当然なのである。

そして内側からだけでなく物心つく時期の彼らには、
社会全体の大きな不安感はストレートに
その身体へと染み込んでくるのである。

よく思い出してみれば誰もが弱くもろい
ガラスの十代であったはずであり、そしていうまでもなく、
今の若者は自分が十代の頃よりも遙かに
不安に包まれた状態なのである。

現在はまさに個人がいかに心地よく生活するかを
追求して作られた世の中のシステムであり、
そこでは生物としての人間が繁栄することは追求されていない。

一人一人が常にかかえ、見えないようにしている寿命や
死に対する恐れだけはなく生物レベルでの
人間の滅亡と向かい合った時、
果たしてその人間は一体どう変わるのかと思ってしまう。

今の世の中をふまえると、現在の若者は、
その進化の真っ只中にいるのではないかと思う。
生徒達の踊り表現には予想の出来ない10代の不安定さがある。
そしてその不安定さが現状を打ち崩す力の片鱗に見えてくるのである。

余談であるが最近のニュースで、思春期の子供を持つ親が、
今の世の中、「子供が事件を起こさないかと不安です。」と
とても不安な顔で数名インタビューを受けていた。

重複するようだが、肉体が不安定なら
精神もそれに伴うのは当然であり、
その不安定な中一番身近な親が不安な顔をするのが一番まずい。
親にはどっしり構えていて欲しいのである。

人間は精神と肉体と丸ごと合わせて人間であり。
丸ごと観れば情報や信号は現れている。

ならばしっかりと身体を動かし健康になろう!…と言うのは易しいだろう。
だが、個人がいかに便利で楽な生活が出来るかの追求の中,、
単純にそこには行き着くとは思えないのが自分の中にある。

先日中学生と地球温暖化の話をしていて
「車をなくせば、排気ガスが無くなって一番かんたんだよね」と
自分に言ってきた。

その通りである。
なぜそれは出来ないのかは判る事で、
単純に車を使っての社会の構築が今であり、
社会システムに複雑に入り込んだ車が無くなる事は
今更あり得ないのである。

へたをすればナンセンスと言われるであろう。

つまりこれは人間個人の生活重視のシステムであり、
生物としての人間が繁栄するためには追求されていない結果なのである。




目の前に座っていた女子高生に戻るが、
彼女達の会話はイケメンについては結論が出た訳ではなく
すでにどうでもよくなったようで家族話に変わっていた。

彼女達の会話は予想が出来ないのである。

世のトップに君臨する人間の予想できる発言や行動よりも、
彼女達の方が遙かに地球を救う力があるように思えてしまう。



自分は踊りを踊る事、そして人に見せることが
全ての平和になるとは思っていない。
人間の表現は驚くほど複雑で、同時に、
笑えるほど単純なのである。

その表現を観る側はもちろん受け取り方は
安易にはいかないのである。
この社会で生きればゆがみが出るのが当然であり、
そこに人間のもろさがある。

自分がなぜそこに魅かれるのか解らないが、
自分の表現や作品はそこにたどりついてしまうのである。
予想できないコミュニケーションはいい。

さて、この文章が掲載される頃はブラジル公演中である。
今回は大所帯の作品に参加。

ちなみに自分の役柄は「きこり」。




ではまた次回に…。

* * *

2008年日伯交流年 /ブラジル移民百周年記念
「現代舞踊ブラジル公演ツアー」。
「笑う土」

演出・振付・構成/加藤みや子
ダンス/立花あさみ 昆野まり子 むらやまマサコ
細川麻美子 畦地真奈加 畦地亜耶加 カスヤマリコ 村本すみれ
横田恵 寺杣彩 市原昭仁(山海塾) アオキ裕キ 登渡カッパ
木原浩太 岩濱翔平 飯田惣一郎
美術/三輪美奈子
音楽・演奏/加藤訓子
テキスト/三輪遊


※宮崎による代理投稿。執筆はアオキ裕キ