2013年10月1日火曜日

新人Hソケリッサ!公演「つのひと」終了いたしました。


新人Hソケリッサ!公演「つのひと」終了いたしました。

お越しいただいた皆さま、ご声援を送ってくださった皆さまへ心より感謝を申し上げます。
相変わらずなのですが、終始様々なことを学び、更に自身と向き合う必要を感じた時間でした。メンバーの淡々と練習をかさねる姿はとても力強い意志を感じ、それは踊りに現れていたように感じます。

活動に大切にしているものは個です。それぞれの違いを最大限に形にすることです。そしてメンバーは自身の生み出す行動に責任を持ち全うしなければ、たちどころにその形は軸を失い、個は薄まります。
我々の活動が継続するためには、それぞれが向かう場所(向かいたい場所)へと強く進み続ける何かを持ち続ける事であり、メンバーの向かいたい場所をとにかく無くさないこと、それに尽きると思っています。それは説明がつかない複雑なものか、強烈に単純な何かでもどちらでも良く、そしてそれぞれの役割が機能される関係へとなった時に、我々は次へと進んでいる気がしています。

人が成長する為には責任を持つという事がとても大切な要素だと思います。他人のために自分の役割を果たそうとするメンバーの動きは、作品に大きく現れました。そこは一部分でも前進できたところだと自負をしています。我々が踊りに没頭できる環境の提供をいただけたこと、そして活動を取り囲む皆さんの支えをとても強く感じています。
ありがとうございました。

さて今後です。未来はどうなるかわかりません。メンバーとの作品作製作にさらに没頭するのか、もしくはスカウトに時間を費やし、たくさんの参加者を募りたいとも考えています。それは互を信用できない関係性で、あっという間の立ち去る形で終わってしまうかもしれません。とにかく先行きの見えない、見たことのない景色をまだまだ求めています。

当初よりやりたいことがひとつ、海外で踊りたいと思っています。なんとかして発展途上国には必ず行こうと思います。それはずっとやりたいと思い続けていることで、我々より貧しい人たちの前に立った時、我々はどのような踊りを踊ることになるのか。どのような踊りを踊るべきなのか。そこは未知の景色です。文化や形式の大きく異なる中で、身を守る術に終始してしまうのか、他人のために身を呈して腰を据えて踊るのかどうかわかりません。そしてその映像を観た人たちは、何かを感じるのか、ただ失笑するのかもわかりません。それは世の中に何かしらの響きを生み出すのか、ただの満足なのかもわかりません。あくまでもさらなる刺激、芸術の可能性を見てみたい想いです。
今後とも活動へのご声援を何卒よろしくお願いいたします。

見えない次へ邁進いたします。
ありがとうございました!












2013年9月7日土曜日

踊りは誰でもできる。静岡市民のダンス公演「バースデー!!」無事終了しました。


一昨日静岡より東京に戻りました。久々の我が家、ほっと一息です。


昨年末より静岡市民ダンサーの皆と長きに渡り積み上げた、ダンス公演「バースデー!!」が先週末に無事終了いたしました。
関わった誰もが持てる力を存分に発揮した素晴らしい時間でした。

私は常々、本来世の中には芸術家は存在しないと思っています。それは誰も皆に当たり前に付随している能力で、過去より個人の瞬間の感覚や、そこから生まれる感情や意思を尊重しなくなっていった現れが、それぞれに根付いていたり、と他にも理由はありそうですが、本当は誰もが生み出すことが出来る(出来ている)はずです。


そして現にプロではない静岡の市民ダンサーは素晴らしい作品を生み出し、参加者とともに協力し合い作品を成長させ、観客の喝采を浴びていました。今後、個人のストレス解消に留まるか、他人を揺さぶるその次を目指すかなどで、芸術の質はもちろん変わってきますが、自身で生み出した経験は確実に大きな前進であり、その力は日常にも反映していくはずです。
いやー私自身も発見と素晴らしい経験の連続で、もちろん失敗も含め、濃厚に勉強をさせてもらいました。

今後は、冬まで続いてゆくデイケアセンターのアウトリーチも含め、静岡のコミュニティダンスにおける展開とその成果、記録、ダンスの社会的効果を踏まえシンポジウムを3月に行う予定です。


写真の舞台セットだった木は、安倍川の流木です。彼らの象徴!
力強い今後の展開をお楽しみにしてください!





2013年8月24日土曜日

宮城 被災地ワークショップ 再び

8月21日~23日、仙台の亘理にある逢隈小学校へワークショップを行ってきました。昨年に続き二度目の訪問です。これはソケリッサ!の活動を通じ面識ある宇都宮大学の長谷川先生提案で、被災地の子供たちが普段学校で経験できない事を学ぶサマースクールで、宇都宮大学の学生が中心となり子供たちと触れ合います。そしてその一環として前回に引き続き私も参加をしています。

アップの写真が見せられず残念ですが、子供たちはとてもいい顔をして踊ってました。前回と違うことは、今回はギター演奏家、歌い手でもあるマルケンさんが静岡より参加、子供たちと生の歌と音楽との空間はとても芸術性に溢れました。また以前できなかった、親を対象としたワークショップをできたこともひとつ前進です。普段はなかなか出せない自身の自由な思いや今を形にする姿は本当に尊い時間だなと改めて感じました。
もう少し続けられる環境があればな・・と思います。

以前訪れた、津波で倒壊した山元町は瓦礫がないものの余り変わらない姿でした。塩分濃度の上がった土も震災から二年半経ち濃度が収まったのか茶色い草は減り、緑の雑草が生い茂っています。写真の草原は元は全て住宅や商店があった場所です。
三日目は閖上地区へ行きました。閖上地区は700名以上が亡くなり、41名が行方不明のままで、ショベルカーが写る写真は町を再建中の一コマですが、一旦人の手で遺体がないか探すために盛られる小山が点在しているのが写っています。ゆくゆくは3メートルの盛土をした土地へとなり、新たに町を再建するとのことでした。

復興は進んでいるようで進んでいない気もします。


宇都宮大学の学生と共に、滞在時お世話になっているNPO法人「亘理いちごっこ」という施設があります。
この施設は、安く食事を提供するカフェでもあり、震災で職を失った方への働く場作りや、集まった人がおしゃべりをして思いを話す空間、子供たちへの勉強を有志の若者が教える寺子屋、などを運営し、社会貢献賞や総務大臣賞などを受賞しています。代表の馬場さんの話では、いろんなコミュニテイ空間が震災後生まれたが、年々と復興資金獲得が困難となり、どこもかなり状況が苦しくなっているそうです。「亘理いちごっこ」も例外ではなく震災助成金が減れば、経営に意識を取られ地域に目を向けた活動へのモチベーションは難しくなることでしょう。

慣れ親しんだ土地に、家を建てて戻りたい方もいれば、戻りたくない方もいます。数メートルの防波堤を建てたい方もいれば、海が見えなくなるのが嫌な方もいます。年齢や、生活形態、価値観の違いで以前と同じものには戻れないのが現状です。それぞれを認め、今までとは違う新しいつながりの中、町が生まれるのはまだ先になりそうです。生活自体の保証はある程度出来ているように思えますが、なんとなくバラバラのままで、その大切なつながりを育成する所には復興資金や意識が回っていない気がしました。

我々個々はバラバラが魅力です。しかしそのバラバラのピースを合わせ人とつながり助け合うことが出来なければなんともつまらない世の中になってしまうでしょう。

閖上には「閖上の記憶」という震災の記録や体験を語り継いでゆく施設があります。そこには子供たちの震災前の町、震災の時の町、これからの町の3つのジオラマがあり、これからの町には津波に負けない素晴らしいいろいろな工夫がありました。

いやー、前回しかり、やはりいろいろ感じ自身に目を向ける時間でした。