2013年10月1日火曜日

新人Hソケリッサ!公演「つのひと」終了いたしました。


新人Hソケリッサ!公演「つのひと」終了いたしました。

お越しいただいた皆さま、ご声援を送ってくださった皆さまへ心より感謝を申し上げます。
相変わらずなのですが、終始様々なことを学び、更に自身と向き合う必要を感じた時間でした。メンバーの淡々と練習をかさねる姿はとても力強い意志を感じ、それは踊りに現れていたように感じます。

活動に大切にしているものは個です。それぞれの違いを最大限に形にすることです。そしてメンバーは自身の生み出す行動に責任を持ち全うしなければ、たちどころにその形は軸を失い、個は薄まります。
我々の活動が継続するためには、それぞれが向かう場所(向かいたい場所)へと強く進み続ける何かを持ち続ける事であり、メンバーの向かいたい場所をとにかく無くさないこと、それに尽きると思っています。それは説明がつかない複雑なものか、強烈に単純な何かでもどちらでも良く、そしてそれぞれの役割が機能される関係へとなった時に、我々は次へと進んでいる気がしています。

人が成長する為には責任を持つという事がとても大切な要素だと思います。他人のために自分の役割を果たそうとするメンバーの動きは、作品に大きく現れました。そこは一部分でも前進できたところだと自負をしています。我々が踊りに没頭できる環境の提供をいただけたこと、そして活動を取り囲む皆さんの支えをとても強く感じています。
ありがとうございました。

さて今後です。未来はどうなるかわかりません。メンバーとの作品作製作にさらに没頭するのか、もしくはスカウトに時間を費やし、たくさんの参加者を募りたいとも考えています。それは互を信用できない関係性で、あっという間の立ち去る形で終わってしまうかもしれません。とにかく先行きの見えない、見たことのない景色をまだまだ求めています。

当初よりやりたいことがひとつ、海外で踊りたいと思っています。なんとかして発展途上国には必ず行こうと思います。それはずっとやりたいと思い続けていることで、我々より貧しい人たちの前に立った時、我々はどのような踊りを踊ることになるのか。どのような踊りを踊るべきなのか。そこは未知の景色です。文化や形式の大きく異なる中で、身を守る術に終始してしまうのか、他人のために身を呈して腰を据えて踊るのかどうかわかりません。そしてその映像を観た人たちは、何かを感じるのか、ただ失笑するのかもわかりません。それは世の中に何かしらの響きを生み出すのか、ただの満足なのかもわかりません。あくまでもさらなる刺激、芸術の可能性を見てみたい想いです。
今後とも活動へのご声援を何卒よろしくお願いいたします。

見えない次へ邁進いたします。
ありがとうございました!












2013年9月7日土曜日

踊りは誰でもできる。静岡市民のダンス公演「バースデー!!」無事終了しました。


一昨日静岡より東京に戻りました。久々の我が家、ほっと一息です。


昨年末より静岡市民ダンサーの皆と長きに渡り積み上げた、ダンス公演「バースデー!!」が先週末に無事終了いたしました。
関わった誰もが持てる力を存分に発揮した素晴らしい時間でした。

私は常々、本来世の中には芸術家は存在しないと思っています。それは誰も皆に当たり前に付随している能力で、過去より個人の瞬間の感覚や、そこから生まれる感情や意思を尊重しなくなっていった現れが、それぞれに根付いていたり、と他にも理由はありそうですが、本当は誰もが生み出すことが出来る(出来ている)はずです。


そして現にプロではない静岡の市民ダンサーは素晴らしい作品を生み出し、参加者とともに協力し合い作品を成長させ、観客の喝采を浴びていました。今後、個人のストレス解消に留まるか、他人を揺さぶるその次を目指すかなどで、芸術の質はもちろん変わってきますが、自身で生み出した経験は確実に大きな前進であり、その力は日常にも反映していくはずです。
いやー私自身も発見と素晴らしい経験の連続で、もちろん失敗も含め、濃厚に勉強をさせてもらいました。

今後は、冬まで続いてゆくデイケアセンターのアウトリーチも含め、静岡のコミュニティダンスにおける展開とその成果、記録、ダンスの社会的効果を踏まえシンポジウムを3月に行う予定です。


写真の舞台セットだった木は、安倍川の流木です。彼らの象徴!
力強い今後の展開をお楽しみにしてください!





2013年8月24日土曜日

宮城 被災地ワークショップ 再び

8月21日~23日、仙台の亘理にある逢隈小学校へワークショップを行ってきました。昨年に続き二度目の訪問です。これはソケリッサ!の活動を通じ面識ある宇都宮大学の長谷川先生提案で、被災地の子供たちが普段学校で経験できない事を学ぶサマースクールで、宇都宮大学の学生が中心となり子供たちと触れ合います。そしてその一環として前回に引き続き私も参加をしています。

アップの写真が見せられず残念ですが、子供たちはとてもいい顔をして踊ってました。前回と違うことは、今回はギター演奏家、歌い手でもあるマルケンさんが静岡より参加、子供たちと生の歌と音楽との空間はとても芸術性に溢れました。また以前できなかった、親を対象としたワークショップをできたこともひとつ前進です。普段はなかなか出せない自身の自由な思いや今を形にする姿は本当に尊い時間だなと改めて感じました。
もう少し続けられる環境があればな・・と思います。

以前訪れた、津波で倒壊した山元町は瓦礫がないものの余り変わらない姿でした。塩分濃度の上がった土も震災から二年半経ち濃度が収まったのか茶色い草は減り、緑の雑草が生い茂っています。写真の草原は元は全て住宅や商店があった場所です。
三日目は閖上地区へ行きました。閖上地区は700名以上が亡くなり、41名が行方不明のままで、ショベルカーが写る写真は町を再建中の一コマですが、一旦人の手で遺体がないか探すために盛られる小山が点在しているのが写っています。ゆくゆくは3メートルの盛土をした土地へとなり、新たに町を再建するとのことでした。

復興は進んでいるようで進んでいない気もします。


宇都宮大学の学生と共に、滞在時お世話になっているNPO法人「亘理いちごっこ」という施設があります。
この施設は、安く食事を提供するカフェでもあり、震災で職を失った方への働く場作りや、集まった人がおしゃべりをして思いを話す空間、子供たちへの勉強を有志の若者が教える寺子屋、などを運営し、社会貢献賞や総務大臣賞などを受賞しています。代表の馬場さんの話では、いろんなコミュニテイ空間が震災後生まれたが、年々と復興資金獲得が困難となり、どこもかなり状況が苦しくなっているそうです。「亘理いちごっこ」も例外ではなく震災助成金が減れば、経営に意識を取られ地域に目を向けた活動へのモチベーションは難しくなることでしょう。

慣れ親しんだ土地に、家を建てて戻りたい方もいれば、戻りたくない方もいます。数メートルの防波堤を建てたい方もいれば、海が見えなくなるのが嫌な方もいます。年齢や、生活形態、価値観の違いで以前と同じものには戻れないのが現状です。それぞれを認め、今までとは違う新しいつながりの中、町が生まれるのはまだ先になりそうです。生活自体の保証はある程度出来ているように思えますが、なんとなくバラバラのままで、その大切なつながりを育成する所には復興資金や意識が回っていない気がしました。

我々個々はバラバラが魅力です。しかしそのバラバラのピースを合わせ人とつながり助け合うことが出来なければなんともつまらない世の中になってしまうでしょう。

閖上には「閖上の記憶」という震災の記録や体験を語り継いでゆく施設があります。そこには子供たちの震災前の町、震災の時の町、これからの町の3つのジオラマがあり、これからの町には津波に負けない素晴らしいいろいろな工夫がありました。

いやー、前回しかり、やはりいろいろ感じ自身に目を向ける時間でした。

















2012年11月3日土曜日

静岡ワークショップ 後編 ~市民ダンスとつながりの考察~



静岡ワークショップ、20日の後半は静岡市民文化会館での男性限定ワークショップ、翌21日は一般対象のワークショップへと続きます。

静岡文化会館は数年前よりJCDNと協力して振付家を呼び、一般参加者を募ってダンスワークショップを行っています。2011年からはコミュニティダンスプロジェクトと銘打ち、一般の参加者と数ヶ月間のワークショップ後、舞台公演を行いました。そして企画に興味を持って集まった一般の参加者は企画後に終息することなくコアメンバーを確立し、そのコアメンバー中心の元、地方での舞台公演企画への参加へ展開、今では実行委員会が立ち上がっています。今では団体自ら働きかけ振付家を呼びワークショップを行う展開へと進んでいることです。

素晴らしいのはいずれは団体独自による企画、振り付け作品制作を行い、最終的な手直しに振付家の手を借りる形まで行けるよう目指すなど、自立した意識を持っており、これは企画発案者、関係者の理想とする、ダンス芸術の力が大いに浸透した形だといえると思います。おそらくここまで市民参加者の意識を持っていった、今までワークショップを行ってきた振付師の方たち、静岡文化会館とコーディネートをするJCDNとの連携他、関係者の力量と功労を感じます。

そのエネルギー溢れる意識を感じながら、20日の後半に行われた男性限定のワークショップには20歳代前半~60歳代の8名が訪れてくれました。市民ダンサーとして活躍中のメンバーから、初経験者も数人います。また格闘技の段を持っていたり、会社員、デザイナーなどさまざまな職種と、それぞれの体つき・・そこから生み出した個々の発表する踊りはそこで終えるのが惜しいほどでした。とにかく顔が良い。その懸命に身体に向き合う姿を見ているとダンスにおける人間の魅力の向上、生活向上力などあらためて感じます。やはりダンサーにならずともたくさんの方にダンスを体験していただき、芸術と日常のつながりを体感してもらいたいです。ダンスの意義を感じます。


私がコミュニティダンスという名前を聞いたのが2010年、JCDN(ジャパンコンテンポラリーダンスネットワーク)の佐東さんからでした。ソケリッサ!の大阪公演に観に来て頂き、そこからお話を聞かせてもらったのが最初です。
コミュニティダンスとはダンスが貧富の差や、年齢、性別、障害の有無にとらわれることがなく、あらゆる人が楽しみ、暮らしの向上、人間育成の手助けを行うという活動です。英国ではコミュニティダンスの財団があり、既にシステム化が大きく進みほとんどのアーチストはコミュニテイ活動と作品の創作活動の両立を行っているようです。日本では学校や、障害施設にて活動しているアーチストと、作品創作を創作を主としているアーチストは少し離れている印象はありましたが、最近は両立するアーチストも出てきている印象を私は感じています。もちろん日本と英国におけるダンス文化は歴史や風土からみても当然異なった状況であり、日本ではダンスの持つ人間育成効果はまだまだ教育や生活へ浸透していないのが実情です。

ちなみにダンスにおける人間育成の指すものとしては、創造力、想像力、表現力、情操力、美意識の育成、リラクセーション、健康保持・・などが思いつくものですが、当然まだあるでしょう。そしてコミュニティの文字通り、つながりを育むのも大きな要素なのです。

さて、その翌21日は、まず一般参加のワークショップと、そのあとは私の活動を知ってもらうトークを行いました。

ワークショップに集まった参加者は男女合わせ17名、20歳代~80歳代まで幅広く、純粋に興味を持った方、4歳からバレエをしていた方、娘が踊りを習っていて負けないようにというお父さんや、エアロビ、ヨガ、ピラティス講師の方、型にはまった事が嫌いな方、自由な動きができない方、建築家、中学校の教師・・とにかくいろんな方が集まっていました。懸命にそれぞれの内側が外へ形になろうとする瞬間は、微生物が魚になるような根源的な命の躍動の姿の片鱗になりうるものだと思います。私は是非、さまざまな職業や、性格、その人物の歴史から、どんな動きが生まれるのか?とにかくそこを観察するダンスの楽しさもたくさんの方に知っていただきたいと思います。
また日常ではなかなか会えない人と出会いそこからコミュニテイが始まります。


ここで少しつながりについて考えてみたいと思います。

人の関係性が希薄になっている現代といわれ、最近「つながり」という言葉は、耳にする機会がとても増えました。大阪にいた私の子供の頃を思い返せば、確かに隣近所の付き合いも今の東京での暮らしに比べると濃かったな・・と感じます。近所の人がおすそわけを持ってきたり、逆に家から何かお返ししたり、困った時には助けてもらったり、家で母親が近所の人とお茶を飲みながらおしゃべりしていたり・・。もちろん全国においては、まだまだつながりが強い地域も多いと思いますが、核家族化による移住の増加、助けを必要としない便利になった暮らしなど、明らかに現代ではつながりの状況が違ってきています。

現在、特に東京は地方からの移住者が多くなるにつれ、よそ者意識がお互いに強く、なかなか隣近所との交流が難しいと感じます。(私自身も兵庫出身の東京ではよそ者でありますが、実は最近になって打破してみるべく地域の自治会へと入りました。まだ回覧板回す程度ですが・・。)

つながりが大切とは解っていながらも、現状に馴染むのが人の常です。生身での対人への距離感がある日常が当たり前となり、その中での対人バランスがインターネットなどに転換しているのでしょう。もしくはネットが先で、煩わしい対人関係を省略していったのが今日と言えるかも知れません。

SNSの王道的なフェイスブック利用者は最近はどんどん増え日本では2011年に1000万人を超えたそうです。興味深いことにそのうちの40%が東京に住んでいる人だそうです。完全に都市型です。純粋に都市部の人ほどネットを通してのつながりを必要としていることだと思います・・。私自身も登録しています。ここで人々がつながりを作っているのは一目瞭然で、おそらくたくさんの人達の生活の一部となり、すでに無くてはならないと思っている人も多いと思いでしょう。

実は最近そのフェイスブックにて気づいたことがあります。登録者は友達とつながり、友達や知り合いへ向け情報を流したり日常の出来事などを投稿しています。
面白い事にその投稿をよく見てみると、「近所の人がおすそわけを持ってきたなり、家で母親が近所の人とお茶を飲みながらおしゃべりしていたり・・。」という近所付き合いの状況ととてもよく似ていると感じました。

つまり昔で言う「おすそ分け」には、自宅の畑でできた野菜や、田舎から送って来た果物などありました。これはいうなれば「これが自分の能力の形です!」ということを、心を許した近所の仲間へ見せる行為であると思います。もっと距離が近くなれば、作りすぎた煮物なり、お菓子を焼いたから持ってきた、家で食事しましょう!などさらに手の混んだ物へ変わります。「私はのこの能力であなたを助けますよ」という意思に思えます。困った時には支え合う仲間となっているでしょう。

さてフェイスブックの投稿は、それぞれの特技が満載です。もちろん私も活動を見せています。時には自慢もします。人によってアートをしていれば作品を見せ、英語ができれば英語でも文章も書き、イベントを立ち上げればこんなのやりますよ!とお知らせをしています。内容によって受け取り側が必要とする「おすそわけ」とそうでないのがよくわかります。心を許した相手と単ににおしゃべりがしたいという状況の場合も同じです。コメントやいいね!がお返しともとれ、そのコメントやお返しによって、とうぜん距離は縮まります。もちろんこれはきちんと研究したわけではありませんが、私には都市型のつながりの形が現れているように感じます。「フェイスブックとおすそわけの法則」です。


そう考えるとどうも人が無意識下で求めている繋がりの欲求は、方法は違えどいつまでも変わらず普遍的であると感じます。

さてワークショップに来る人を観察していると、実は積極的に他人と近づく人もいれば、必ず距離を取ろうとする人がいます。確かに人はきちんと自身を吟味する孤独も必要なのです。静寂の中で、自信と向き合うことの出来る人は、個人の叫びに溢れた表現を見せてくれます。私も孤独は好きです。なにをするでもなくぼんやりといろいろ思考を巡らせたりするのが好きです。しかし人とのつながりがあり、我々は日々生きることができます。実はどこかでつながりがある安心感に支えられているからこそ人は孤独になれると思います。小説ロビンソンクルーソーもつながりの喜びをしっているからこそ、フライデーに会えるまで無人島での孤独に耐え抜いたのかもしれません。つながりの欲求は自信を活かし、その身を守る行為でも有り、反対に孤独の欲求は変化への欲求であるということでしょうか。

団体行動が全てではありません、形式では無く、つながることの必要性を身を持って感じることがまずは大切です。きっとそれこそ能力にあふれたそのつながりが人や地域を動かしていくことになることになると思います。

”地域の人達がつながりを持ち、自ら地域を活性化する”静岡の市民ダンサーはまさにそのコミュニティダンスの理想の展開だと感じます。そして私自身そこへ触れることができて嬉しく思っています。



ワークショップを振り返り、私自身の想いとは遠く、まだまだ導く力は足りておらずです。
なんと2日目のワークショップにおいて途中一人帰ってしまった80歳代の参加者がいました。その方は20年間社交ダンスをやっていたそうで、久しぶりに踊りたいと思ってきたそうです。その期待に応えることができず心中察すると申し訳なく思います・・。その方の中でおそらく何かが違ったと思います。最年配80歳代の方で、その方の躍動を見ることなくウォームアップ中静かに退場していきました。勉強したいと思います。


今回の刺激的な機会をいただけたことに、関係者のみなさまへ心より感謝を申し上げます。
ありがとうございました!

静岡応援していきますよ!!





2012年10月28日日曜日

静岡ワークショップ 前編  ~熟年ダンスと循環~




10月19日~20日静岡でワークショップを行なってきました。初めての土地、人との出会いは、新しい発見と学びがあります。今回も全日刺激に溢れた時間でした。
今回は静岡市民文化会館のでの、市民ワークショップとデイケアセンターへの老人の方へ向けたアウトリーチ、JCDN(ジャパンダンスネットワーク)によるコーディネートにて行われました。

1日目はデイサービスセンター「久能の里」のお年寄りの方へ向けたワークショップからです。海岸沿いにあるベージュの外観の施設に入ると、吹き抜けのホールがドンと目の前に広がり日差しが明るい解放感ある空間です。通常はそのホールでさまざまな催し等行われており、体操やマッサージ、フラダンスなど外部の講師が訪れ、頻繁に身体を動かす事は行われているそうでした。ホールに集まった、おじいちゃんおばあちゃんは40名程、平均年齢は80歳位。歩くのも大変そうな方が多く、今回はイスに腰掛けた状態でのワークショップです。熟年のそれぞれの居ずまい、顔、手足の皺、歴史溢れる身体にはいつもながらついつい目を奪われてしまいます。人間の隠しようのないリアリティは、つくづく自分自身の表面的な部分を露呈し、一瞬にして蹴散らしてしまいます。この団体が皆一斉にグイグイ内側から踊りだす姿を想像すると痺れます・・。

自己紹介のあと、私のやりたいことを説明しますが、耳の遠い方も多く、「それぞれで踊りを創作したいと思います」と言っても、固まって私をじっと見ているだけです。訳も分からずはじめるよりもまずは最初に私自身の踊りを見てもらいました。おじいちゃん、おばあちゃん達と同じくイスに座ったままで使える身体部分を使い、身体を動かす喜びを感じ、伝えようと踊りました。上半身を縮めたりのばしたり揺らしたり、固めたり、無表情になったり音楽をかけて動かしました・・。ものの見事におじいちゃんおばあちゃんは拍手もせずにシーンと固まったままでした。拍手位はもらえると、思っていた自分自身に笑ってしまいます。まだまだ心をつかむ踊りが出来ていないということでしょう・・。しかしとにかくお世辞で拍手しない所が惹かれます。

さてそこからストレッチ、ウオーミングアップを行い、徐々に心身をほぐしていきます。参加者名簿を事前にもらっていたのですが、マサさん、シマさん、ヒサ子さんなど今の若者にはなかなかない名前が多く、そこから生きてきた想のつまった歴史を想像します。そこで今回はそれぞれの名前に含まれる自然やモノを表現することにしました。川が名前にあればどんな川なのか・・穏やかなのか、濁流なのか、澄んでいるのか、近所にあった川・・などなどイメージを質感として身体で表そうとします。とにかくは最終的にはそれぞれ独自の踊りを数名ずつ発表するまでにはたどり着けました。

私は思いますが、社会全体の目線で見て、年寄り=隠居生活ではなく、もっともっと表現をする機会を持ち、そしてなおかつきちんとその表現に対し喜んでもらったり評価をしてもらえる環境が必要じゃないかと感じています。我々は、日々様々なものを体に取り込んで排出しています。それは食べ物、呼吸に限らず、目に見えない刺激や、ストレスまで全てです。その身体に取り込んだモノは、排出することが健康体であり、きちんと排出する環境がなければ、どんどん身体に溜め込まれ体は澱んで辛くなるはずです。

年を重ねるごとに感動や、知識、経験や苦労など様々なモノが身体に取り込まれ蓄積され、それは歳を重ねた分だけ熟成した美しさとなるはずです。熟年の表現から伝わる感動を社会後継者たちが味わい、未来を育む力の変えていく事はまたひとつの自然な循環であるとも言えます。そしてその循環に乗ることでキラキラと命輝く年寄りの方は増えるのではないでしょうか。

ソケリッサ!のメンバーを見ていると、度合いは違いますがだんだん日常の表情が豊かになるのを感じます。メンバーは人前でそれぞれが受け入れられる環境にあり、その環境でお客さんの期待に答えるべくどんどん表現として排出をしています。したがってそれに伴い日常でもさまざまなモノを積極的に取り込んで行く必要を無意識のうち感じて動いているように思えます。そしてそれが様々なことに対しての興味となり、心を動かし吸収している姿が表情へ現れているように感じます。伺ったデイケアセンターは解放的でとてもおだやかな空間です。職員の方もおじいちゃん、おばあちゃんの表現を受け入れる器量もある方ばかりでした。表現を外に出す機会が増える事、出し方を導く先導者が側にいることで、きっと輝く景色はひろがるはずです。全員のグイグイ内側から踊りだす姿、その景色はぜひ見たいです。

ちなみに排出物=カスということではありません、取り込んだモノは身体の内側で形を変え、体外へ出て来る時には何かの役に立つようにできていると思います。呼吸や、便、もそうです。もし、何者にも役に立たないモノを排出しているなら、それはきちんと消化をしていないことかもしれません。私自身未消化のまま排出している事もあり、誰の役にも立たないものを出していることもあります。不味そうですが牛やらくだのように再び体に戻し、反芻することも良いかもしれません。

考えてみれば、いっさい何の得にもならないカスを排出することが人間の特技なら・・
カスは人間でいるためには必要なのでしょうか。これはまた時間をとって私の考えを書いてみたいと思います。

さてそのあと食べた生しらすはとても美味しく、ご飯にかけ、山盛り食べました。感動と栄養と食べる喜びは余すことなく活力へと身になりました。静岡の食べ物は美味しいです。

後編へ続く

2012年9月12日水曜日

宮城 被災地でのワークショップと子供たち 後編

 

二日目の朝は、荒浜小学校の子供たちとのワークショップでした。

こちらの小学校校舎は、被災して現在は使用できない状態です。
海より700メートル傍にある小学校で、瓦礫など片付いてはいましたが、校舎は壊れ津波の跡が残っているままでした。現在は被害の少なかった逢隈小学校に間借りをして授業を行っている状態です。今回はこの荒浜小学校の学童保育クラスでのワークショップでした。

学童保育は、労働などの事情により昼間保護者が家庭にいない小学生の児童に対し、放課後など保護者に代わって行う保育を指しています。学童保育の子供たちに対し授業を行うのではなく共に時間を過ごし、子供たちの生活の場を作り、勉強や遊び、行動をサポートすることが目的となります。今回はダンスをやりたいといって集まってきた子供たちではないのが1日目と違うところです。

中~高学年の子供たち数十人、ワークショップを行う体育館に来るとすぐに走り回り、子供たちみんなを集めてワークショップを始めるまでにもう私は汗まみれでした。「集合!」といってもそれぞれ自分のやりたいように行動しています。遠く離れて座って見ているだけの子もいます。ウンコなどと叫びながら走り回る子も数人います。内面の言葉にできない衝動を表に出すことは人にとって大切です。しかしその子たちはウンコの踊りを踊りたいのではなく、自身の内にある衝動のかたまりが大人の注意を引く反発だったり、そわそわしたものだったり、うまく言葉にできない内面が形にとなっているようでした。

なんとか挨拶とそれぞれの自己紹介を済ませ、準備運動。子供たちはつまんないと思えばやらず、面白いと思えば傍に寄ってきます。彼らに自分の物まねをさせてみます、見てるといわゆる変な形などを子供たちは喜んで真似をして、とにかくすぐにふざけたがります。そして参加した子供たちの目的は、かっこいい形や上手に踊りが踊れることでなく、それ以前のものに感じました。実は子供たちは一緒にふざけながらいろいろな動きをしている"私を見ている”のではないでしょうか。

「この人はどんな人か、表面的なのか、安心できるのか。・・」と、私には子供たちがそんなことを考えているように感じました。子供が成長したいという意思は、まず安心して生きてるということが土台として必要であると思います。それは大人も同じです。だれもが安心を渇望し、そしていつまでも安心を求めて日々彷徨っていると思います。

”安心は物質ではなく愛情です。”

荒浜小学校の子供たちは、地震の起こった時刻は、ちょうど下校をしようとしているときだったと聞きました。それから校舎へと非難をし、およそ70分後に津波が押し寄せてきたとのことです。子供たちと教師、周辺地域の人たち合わせおよそ300数十人の方たちは屋上で周りが波に埋もれていく衝撃的な時間を体験しました。その日のうちにヘリコプターでの救出が始まったとのことですが、ホバーリングしての救出は時間を要します。電気の消えた暗闇の中、石油タンクの燃えさかる炎がぼんやり辺りを照らしていたといいます。強烈な非日常の世界です。最後に消防団や校長先生が救出されたのは次の日の午後とのことでした。

・・・今現在、子供たちにはまだまだ愛情が必要です。子供たちが何かを学び成長をしていく以前に確固たる愛情を求めているように思えました。子供たちの強烈な震災体験という身体の記憶は、周りが消そうとするのではなく、その記憶丸ごと彼らをつつんであげることが大切です。そしてそのうえで芸術の持つ自由性により、彼らの内側に踊る喜びという新しい記憶を作っていく事が私の役割だと強く感じました・・。さて参加した子供たちの集中は1時間でした、そのあとは勝手気ままになりました。子供たちに”踊り”をきちんと提供できたのかどうか正直解りません。私自身、まだまだ子供たちにできる事はあったはずであると思いますし、もっともっとひきつける踊りができたのではないか・・というのが本心です。

ワークショップ後、私の傍に最後まで参加しなかった男の子が来ました。
「参加したくなったら一緒にやろう」と彼に声をかけてはいましたが、結局その男の子はずっと見ているだけでした。その男の子が終了後、傍に来て「又来る?」と私に言いました。「遠いからすぐは無理かもしれないけど、又来たいよ。」と答えると、その子はだまって帰っていきました。彼の言葉の意はまた来てほしいのか、もううんざりということなのか、その一言では解りませんが、”又来てほしいと思っている”と私は都合よく解釈したほうがそれ以上落ち込まずに済みます・・今回のワークショップの成果の一つとして受け止めることにしました。

昨日で震災からちょうど1年半です。
今回の震災で”絆”という言葉がクローズアップされました。近代まれにみる今回の震災で、我々は確かに”絆”の大切さを再認識し、未来へ進まなくてはなりません。しかし我々日本人はすぐに形式に目を向けてしまいます。”絆”という形式をただ作ればいいというものではなく、絆の重要素である”愛情”の認識が大切であると思います。部分的な被災地だけの修復ではなく、もっと大きい範囲での改革、根本的に今までとは違う価値観を持って生きることとは、”愛情”の重要性の再認識ではないかと思います。

自身、配偶者、家族、友達、仲間、物、動植物、他人、国、世界、地球まで様々なものに対する”愛情”を重要視をした個人育成、及び社会創りを目指すこと。これは全国の大人誰もが出来ます。当たり前に思えますが、不安に包まれた社会やそこで生きる人々の姿は愛情に包まれているとは思えません。本当の再建とはとても身るるな事であり逆にとても困難だと思います。

私の接した逢隈小、荒浜小の子供たちを引率してる大人は、形式やマニュアルでなく子供たちに何が必要かをしっかりと考え、静かに寄り添い、愛情に裏付けされた子供たちへの繋がりが見えました。これは子供たちだけでなく、先生同士、又外部に対しても協力をし合う関係は同じでした。
とても人間本来の自然な美しい姿に見えました。もちろん小学校だけでなく被災地の再建には自ら被災しながらも活動している人たちの存在は本当に大きいです。

子供たちが大人や社会からの十分な愛情の元、安心して成長して行けることを願います。
とてもいろいろ気づかされる時間でした。もちろん又訪れたいと思います。

協力してくれた宇都宮大学の学生さん、そして長谷川真由美先生に感謝を申し上げます。

2012年8月30日木曜日

宮城 被災地でのワークショップと子供たち


8月22日~23日と宮城県の亘理へ小学生のワークショップを行って来ました。

8月頭にも下見で訪れた被災地域、亘理町は仙台から常磐線に乗り約40分ほどの場所で、仙台中心部の都会的イメージとは逆に穏やかで緩やかな時間の流れる印象でした。

亘理駅周辺は大きな被害も見えず、のどかな田舎町です。
宇都宮大学、長谷川先生と現地で待ち合わせ、その後案内の元、被災した地域を見に行きました。長谷川先生は大学での授業などで忙しいにもかかわらず、時間を見つけては私の活動の協力をしてくれて、いつもとてもお世話になっています。亘理には昨年より何度も訪れ、学生たちとボランティア活動、地域の再建活動を行っており、今回は学生たちによる小学生の勉強の手伝い、交流、ダンスのワークショップなど発案、そして以前より被災地でワークショップをしてみたいと話していた私を誘ってくれました。

亘理の中心より車で数分走り、だんだんと半倒壊した建物や、折れ曲がったガードレールなどが現れます。津波の到達した範囲が倒壊の大きさで感じられました。

海の傍は、元から住宅など何も無かったかのごとく、海沿い一面に雑草の生えた空き地が広がり、残っている建物も3階部分まで到達した跡が残っていました。高いところは7~10mの津波が押し寄せ、距離ではなんと沿岸から6km程先迄到達した場所もあったそうです。家の土台や、塀の無くなった後が分譲地のような景色に思わせます。瓦礫の撤去が進み、特定の場所に集められ、表面的には片付け自体進んではいる印象ですが、残る傷跡から受ける震災の質感はやはり身に強く迫るものがあり、想像を絶する出来事が現実に起きたリアリティが広がっていました。

そこから海沿いに相馬市の方へ向うと建物の土台が見え隠れする草原の中に、所々剥げたコンクリートのホームが残る常磐線の山下駅がありました。亘理駅から先、常磐線は不通となっています。山下駅の線路は今はありません、そのあたりは日本一直線の続く線路だそうで、おそらく線路であった先へ続く空間は、遥か遠く独特の草原が続くだけでした。

その先にある中浜小学校は校舎の2階上部分まで水にのまれたしるしが青いラインで記されていました。(ちなみに校舎は海抜2~3mの高さに建っています。)校内隣には原形を留めない車の保管場所として積まれており、校舎の向こうには波しぶきが上がり、ドーンと岩に波が打ち付ける音が繰り返し響いています。大半の車はキーが刺さったままつぶれていました。

震災の時、生徒達は最上階にある用具室に避難をし、先生の指示で津波を見る事を避けて終息を待ち続けていたということでした。先生の機転の効果は大きいと思います。高台に避難した人々中には津波の押し寄せる衝撃的な景色が忘れられず、海へ近づくことのできなくなった子供が多いと聞きました。それにしても津波の及ぼす”音”の中、用具室での暗闇を寒さに震え朝まで過ごした情景は私の想像の及ばないものです。

改めてすべてを元に戻すことは不可能だと強く感じました。



亘理町にある逢隈小学校は、プールの倒壊や、校舎の亀裂はあるものの海沿いに比べて被害も少なく、同地区の津波により被災した荒浜小学校へ校舎を間貸ししています。

1日目は逢隈小学校の子供達へのサマースクールでのワークショップからでした。サマースクールはダンスのほかに、勉強の手伝い、自然を肌で感じるネイチャーゲームや染物など宇都宮大学の学生さんたちによるプログラムがいくつかあり、どれも子供たちの自主性を育成する目的で構成された素晴らしい内容でした。ダンスにおいては前半が私の振り付けで踊り、後半は参加した逢隈小の先生方とともに振付を創作に挑戦しました。

最初、子供たちは全体的に大人しい印象は受けたものの最終的には笑い声にあふれ、身体を使って表現をする喜びを感じてくれたと思います。こちらから頼んでないのですが、たくさんの先生が参加をしてくれたことはありがたく、さらなる子供たちの喜びにつながったと思います。

夏休みにもかかわらず教師はほぼ平常時に変わらぬ出勤体制ということです。男性教師の一人に「休みはないのですか?」と聞くと「昔とは変わりましたね。」と、微笑んでいました。その言葉は純粋に、我々の”子供時代と現代の教育や教育者の在り方の変化”を指しているのかもしれませんが、先生が子供たちと汗を流し踊る姿を見ていると、”震災前との違い”を表しているようにも感じる、とても意味深い一言に聞こえてきます。

世の中はどんどん大きく変わって来ています。震災前と震災後は全く違います。震災を通して、個人の為の効率化にまみれた現在の生活形態は、資源や電力の過剰消費など我々の麻痺した意識を露呈させました。物質至上ではなく精神の大切さ、又、日々生きているということの大切さをきっと誰もが感じたように思います。


そして考えるべきことは、その先です。




その2へ続く