2011年1月2日日曜日

泣くウサギ

あけましておめでとうございます

昨年夏に行なったソケリッサ!の公演は、
東京だけでなく大阪へも初上陸。
地方公演は当然とお金が多く必要で
夏より練習+仕事+アルバイトの日々でした。
ソケリッサ!は5年経ったがまだまだ
協賛金を集めるには苦労しています。


さてアルバイトは駅前の和食屋でランチタイムの皿洗い
調理補助等で、週4日間昼過ぎまで働く。
これが客足は緩むまもなく、又次々と待たせることなく
料理を提供しなくてはならない。
商売とは経済の展開スピードに合わせていくことが
必要なのだろうとつくづく思う。
そして顧客の需要に答え、満足を提供することが
お金を得る為の流れである。

それに比べるとソケリッサ!を始め私の求める芸術は
生産効率も良くは無く、出来上がったものを受け取る
顧客の数も 限られてしまう。需要のある(売れている)
ようなスタイルの良い若者でもない、路上のおじさんである。

つまり世の中の主流には反している


もちろん私自身はこの理解をもって創作をしている。
しかしながら今年はもう少しお折り合いを付けて行かなくては・・と思う。

世の中の仕組みであるが、お金を大きく生み出し、
経済を発展させているのは流行であり、新製品であるともいえる。
そしてその流行にのり、新製品に追従し重要に応えれば
お金になる。

しかし今や流行は使い捨てで、10数年経てば
新製品も懐かしいものとなり「表面的なモノ」であれば
100年後には形も何もなくなり行く。
ここでの「表面的なモノ」とは人の心を動かさない
モノということである。

「人の心を動かすモノ」とはなんだろうか・・

それはすでに目の前にある自然そのものであろう
その美しさは普遍的であり、何百年経とうが心を大きく
揺さぶるものとしてそれは永遠に残る。

自然とは山や海など人工的なものではない
あるがままのものであり、動植物はもちろん
子供は自然の産物そのもの
普遍的に美しい。


やはり元来人間も自然の一部なのである。
その人間がより人間的に苦労し生み出した
モノは人の心に響き、色あせることも無い・・
先駆者は何年も残る

混乱しそうだが、流行は派手で魅力的なものに出来ている
しかも新しいものは、刺激に溢れなおさら目を引く。

大切なのは折り合いでありバランスであり混沌を見る力である。
何を善しとして生きていくかは、その人次第であり
混沌のなかで何を生み出したいかということかもしれない。

順応してしまうことは簡単なんだが・・

さて見事に流行と普遍的なモノが混ざっている象徴はテレビである。
実は家のテレビは2年前に配線をウサギにかじられて
から無い。これは文明排除でもなんでもなく
デジタルだのどうのこうので買わずにいたら慣れてしまった。

ちなみに家で飼っているウサギはクロと茶の2匹で
日替わりで家の中を放し飼いにしていている

昨年の夏、そのウサギがトイレで涼んで昼寝をしていた時の話。
以前も述べたが築40年の我家は水洗ではなく汲み取り式
汲み取り作業時の音は「グゴーッ!」と凄まじい。

漫画のようだがその音に驚き飛び上がったウサギは
トイレの中に転落をしてしまった。

その日はちょうど在宅中で、表から作業のおじさんの
「おーっ!なんか落ちてきたぞー!」という叫び声が聞こえた。
トイレを覗くと底でウサギが吸い取るホースと共に驚き跳ね回っている。
幸いホースの太さもウサギより小さく、上手い具合に驚き飛び跳ねるウサギ
をよけておじさんは綺麗に掃除を終えた。

汲み取りトイレは使用側からは底が深く、手は届かないのだが
屋外の作業用のふたを開けると手が届く。
ウサギを救出し、風呂場にほり込んで洗った。
2匹いるうちの茶の方であった。

それにしても驚いたし、当然ウサギのあわてぶりもすごかった。
必死にトイレの底から何度も跳ね上がり、鳴いた。

「キューッ!」という声で、ウサギの鳴き声を聞いたのは
後のも先にもそれきりである。

話が芋づるに逸れました

とにかく今年は泣く年にならぬよう祈ります。











今回はこの辺で・・

0 件のコメント:

コメントを投稿