2011年6月5日日曜日

前進の話


幼少の頃からの記憶をふと思い返す。

家族旅行で海で泳ぎ、楽しんでいる姿。
次に野良犬にほえられ泣きながら逃げ回り、以降は全くの犬嫌いになった。
次に友達と遊んでいて目の前でため池に転落し、
驚き震えながら懸命に助けた。
クラスメートが白血病になり幼くして亡くなる。
転校、初登校。中学時代、リーゼントの先輩に因縁をつけられ怯えた。
次にバスケットボール部の初試合、緊張のあまり吐き気をもよおし
開始早々交代させられた。これは思い出すと笑ってしまう。
中学までの記憶だけでも、悲しみや驚愕と様々だ。

最近では刺激多い海外に行く度に忘れられない出来事がさらに増える。
印象深い記憶を書き出すと結構たくさんあることに気づく。
しかし印象深い記憶をどうつなぎ合わせても、せいぜい人生の数割りにしか
満たないものだろう・・ネガティブ、ポジティブに関わらず心揺さぶる経験は
年を重ねると共に、自ら導く以外に減ってしまう。

どうやら強く印象に残っている記憶というものは、
行動と共に自身の感情が大きく動いた強烈な出来事だと思う。

とにかく感情が大きく動き、強烈に心を揺さぶる記憶は
けしていつまでも忘れはしない。
  
世の中が大きく変動した、東日本大震災の被災者は、家族を失い
津波の恐ろしさに直面し震えた。その記憶は、想像を絶するものであり
記憶は被災者にとって今後忘れるはずは無い。
どうすることが賢明だろうか
おそらくそれを上回る喜び、感動や躍動を得ることが生命力になり、
人々の前進、子供達の未来へと繋がる。
その源の一端を我々芸術家が担い、魂を揺さぶる躍動を与えていかなくては
ならないことだと改めて痛感した。


その驚愕の震災、約1ヶ月後の4月、母親が亡くなった。享年68才。
ガンだったがまさかこんなに早く亡くなるとは思っていなかった。
常日頃より人は死ぬことは当たり前のことで、生きていることが特別だと
感じてはいたが本当に衝撃的な出来事であり簡単に消化のできること
ではない。無理ではあるが、正直この悲しみはもういらない
誰にも味わってもらいたくない。
悲しみに慣れるということは単に麻痺をさせているだけのような気がする。
記憶にフィルターをかけているだけである。そのフィルターに頼るだけの
今後の人生はあまりにも保守的なものだ。



 
人は創造することに喜びを感じるように出来ている。
もちろんそれは物質的なものであるかもしれないし
目には見えないサービスかもしれないし、ルールかもしれない
家族があり子どもをつくりたい衝動はまさに自然の創造である。
とてつもなく大きな損失に対し、過去にこだわらず、新しい価値観を見出し
前進することは当然簡単ではないし負担も大きい。
しかし新しいものを創造することが自然な姿であるなら、
これから我々は、そして日本は何をすべきか見えてくるように思う。
   

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